『敗者たちの季節』 あさのあつこ

 

敗者たちの季節 (角川文庫)

敗者たちの季節 (角川文庫)

 

 

夏の甲子園大会地区予選、海藤高校と東祥高校との決勝戦の場面から物語は始まる。
二つのチームのどちらかが勝って甲子園に進む。そして、どちらかが敗者となって野球の夏は終わるのだ。
まずは、二つのチームの二人の投手を中心に、ここまで来るまでの思いや、甲子園にかける夢などが語られる。熱くなる。どちらも勝たせてやることはできないか……できるわけないよね。


タイトルは「敗者たちの季節」とあるとおり、たくさんの敗者たちが出てくる連作短編集だ。
試合の勝ち負けだけではなくて。
二つの高校の球児たちを中心に、その回りにいる、大人子ども、男女とりまぜての敗者たちだ。
レギュラーから外された選手。
選手たちの信頼を得られなかった監督。
親の(理不尽な)期待に、答えられないことを苦しむ少年少女。
結婚生活から去る夫を、見送る妻。
……次から次に、もしも勝ち負けだけで考えるならば、あれもこれも、確かに負けたことになるのかもしれない。
敗者にさえもなれなかった者もいる。「勝者の座から滑り落ちてしまった」


彼らに「敗者」と名付けてしまったのは、彼ら自身なのだ。そうしないではいられなかった。
そこに周囲から、中傷という追い討ちがかかる。
けれども、中傷よりも、むしろ、激励のほうがたちが悪いという言葉は堪えた。人は甲子園(甲子園だけじゃなくて)に、わかりやすい感動的な物語をもとめるものだ、という話も納得した。


海藤高校野球部の八尾監督は、こう言う。
「どんな理由があろうとも一度背負い込んでしまった荷は、自分しか下ろせないでしょう。選手たち一人一人が、自分のやり方で背中から重荷を下ろしていく」
物語のなかの敗者たちは、足掻いて足掻いて、自分のやり方をみつけだそうとする。
だって、彼らは野球が好きだ。
それでもそれでも野球が好きだ。
「好き」という素朴な言葉が、眩しい。


ある父親か、息子にこんなふうに言う。
「野球には敗者しか味わえない経験ってものも、あるんだぞ」
野球少年たちは、きっとよく知っている。
甲子園の空は青空ばかりではないことも。


長引く梅雨の、いまは7月。高校野球の地区予選、始まっています。