『記憶の小瓶 』 高楼方子

児童文学作家・高楼方子さんの幼い日々の思い出をつづったエッセイ集。

幼稚園に通っていた頃、一年生の頃、
園で、学校で、家で、
友だちと一緒に、家族と一緒に、ひとりで、・・・
そうそう、こんなことあった、わたしにも。
何気なくおとながもらした言葉や、行動に、不安になり、ずっと恐怖を引きずっていたり、
友だちの思いがけない一面、特に優しさに気づいたり(その逆も当然あるんだけど)
わかってもらえない寂しさ、わからせられないもどかしさ、
あるある、こういうことは、私達の日常だったね。
傍からみたら「ぴよぴよとしたかわいい幼児」も、本人にしてみれば、結構修羅場をかいくぐっているんだなあ、今も昔も。

笑っちゃうのが、担任の先生の途方もない法螺話。
おとうさんを殺した殺人犯がおとうさんのふとんでぐうぐう寝ている話、とか、
肉屋さんが豚のおしりを少しずつ削いで、「先生は、半分までになったのを見たことがあります。二本足で元気にしていました」とか・・・
絶対うそだとわかっていても、うそと言い切れないのが先生と生徒という関係。そこから不安を感じる子どもたち。満足そうに君臨する先生。
この程度のいいかげんな先生って、案外いたよね、むかし。

過ぎてみれば笑い話。
思い出すこともなく忘れていた遠い日が蘇ったりして。
大人になって、少し要領よくなりました♪
修羅場を越えていく子どもたちに少しはやさしくなろう。
あんな大人になりたくない、とあのとき思ったさまざまな場面を忘れまい。
と、思うのだった。今は。とりあえず。