『ハムネット』 マギー・オファーレル

 

アグネスと夫の間には三人の子どもがいる。真ん中のハムネット(双子の兄)は、1596年、11歳のときに黒死病で亡くなった。彼の父親はその四年ほどあとに『ハムレット』という戯曲を書いた。


息子を失う前のアグネスの、自然や体の中の声、予兆を聞き分ける能力は不思議だけれど、人がもっと自由になったら、今まで蓋をしていた第三の目や耳が開かれることもあるのではと、彼女を見ながら思った。
野生的で、森の気に溶けてしまいそうな、伸びやかなアグネスに魅了される。
同じ作家による『ルクレツィアの肖像』で、虎と見つめ合っていた七歳の少女の姿を思いだしていた。


だまし討ちのような死神の攻撃に負けたアグネス(をはじめとする家族)の苦しみの深さに、筆舌に尽くしがたいという言葉はこういうことなのだ、と思った。
夫がロンドン住まい、妻子がストラトフォードの田舎に暮らしているのは、わけがあるが、息子の死後、離れ離れでもぴったりと寄り添い合っていたはずの夫婦の間に、異物が紛れ込んできたようだ。
主に人を生かすため、助けるために働かせていたアグネスの能力は、夫の小さな背信を探る方向に働き始めたのではないか。
夫、子どもたちの父親は、家族(とりわけ妻)と苦しみを共にするよりも、自分ひとり、打ちのめされることから逃げ出したのではないか。


一方、ハムネットは、死後のほうが、生きていたときよりも姿が生き生きとしてみえてくる。それは妖精みたいで、母や妹の思い出や願いの間を、自由に跳ねまわっているようだ。ちょっとした癖や表情が鮮やかに浮かび上がってきて、おそろしいほどだ。


そして、ここで『ハムレット』上演のニュース。いったいどう受け止めたらいいのだろう。
なぜ、彼は亡くなった子どもの名前を題名に据えてあの戯曲を書いたのか。
あの『ハムレット』でしょう。だれもが知っている(と思っていた)シェイクスピアの戯曲。あの戯曲に、なにか秘密があるというのだろうか。


最後の数ページ。わたしは夢中で読んでいた。
観客の一人になって、私は舞台に駆け寄りたくなる。