『ごきげんなすてご』 いとうひろし

 

「あたし」のおとうとが生まれた。おとうとはかわいくない。「おさる」だもの。それなのに、お母さんはおとうとばっかりかわいがる。
だから、「あたし」はすてごになろうと思った。段ボールの箱に入って、やさしい人がひろってくれるのを待っていると……


自分の下に赤ちゃんを迎えるって、上の子にとっては青天の霹靂、子どもが初めて経験する天変地異、といってもいいくらいじゃなかろうか。
弟が生まれたとき、わたしはどうだったっけ。自分のこどもはどうだったっけ。思い出せなくなっていて焦る。
上の子が、赤ちゃんを受け入れるために、有形にしても無形にしても、忘れ果てているとしても、何か、その子なりに納得できる儀式があったのだろうか。


すてごの「あたし」は……。
日暮れて、心細くなった「あたし」の前に、気がついたら両親が立っている。「おさる」みたいな赤ちゃんを大切に抱いて。
おうちのなかにこれから先も「おさる」がいること、両親が「おさる」を大切にしている事は、どうしても変わらないらしい。
そのうえで、両親は「すてご」に改めてたずねるのである。
「おじょうさん、おじょうさん。
わたしたちは このおさるの おねえさんに
なってくれる こを さがして います。
もし よかったら うちのこに
なってくれませんか」


自分をとりまく環境はずんずん変わっていく、自分の意思だけではどうしようもなく。
きょうだいを迎えることは、環境の変化の第一歩、環境と折り合いをつける第一歩かもしれない。
そして、「おさる」は、「あたし」の弟「だいちゃん」になっていく。