『川釣り』 井伏鱒二

 

川釣りのエッセイばかり、戦前から戦後にかけて、ぽつぽつと書かれたものだ。
「渓流の岩かげから泡立つ淵を目がけて釣竿を振る。もうそれだけで充分である。自分は谷川の一部分になっている。もうそれだけで結構である」
気持ちがいいな。もうそれだけで充分、結構。そんな風に感じられる時間を持てるって幸せじゃないか。
だけど、一つの趣味を長く続けていると、その間には、いろいろなことがあるものだ、時には変わったことも。
こちらを注視している様子の人を気にし、窮屈ながら、あざやかな手際で釣りおさめて顔を上げれば、先の人はちっともこちらを見てはいないことに気づいて「なんだつまらない」と思ったこと。
釣り場付近のワサビ田の盗人の思いがけない正体に呆れたり愉快に思ったり。
テグス代わりにと、無理やりに著者の頭から白髪(!)を大量に抜かれた、とんでもなく不快な顛末。
さて明日は釣りという日に、警察が犯人逮捕に協力してくれと訪ねてきたことから始まった酷い一日のことなど。
どれも、忘れがたい大変な経験であったはずだけれど、読者はただ楽しく読んだ。近所の気のいい釣りおじさんの茶飲み話みたいだ。


井伏鱒二に釣りを伝授した人はこう言ったそうだ。
「おい井伏や、釣りは文学と同じだ。教わりたてはよく釣れるが、自分で工夫をこらして行くにつれて、だんだん釣れないようになる。それを押しきって、また工夫をこらして行くと、だんだん釣れるようになる。それまでは十年かかる。先ず、山川草木にとけこまなっちゃいけねえ」
「草木草木にとけこ」んだ気持ちを味わった読者である。
暑い日が続くので、涼を求めて本の中の渓流に逃げ込んだ。本のなかではせせらぎの音は心地よく、風が涼しかった。