『すべての月、すべての年』 ルシア・ベルリン

 

職場では頼りになるナースであったり、教師であったり。妹思いの姉であり、辛抱強い母親であり。
めそめそする人は嫌いだけれど、そうかといって、人をむやみに切り捨てることのできない人でもあるのだ。
だけど、彼女は、重いアルコール依存症だ。自分を亡ぼすことを知りながら、浴びるほど飲まずにはいられない。
それだから、同類を敏感に感知するのかもしれない。
彼女のなかにある闇の深さを知る。寒々とした孤独に震えてしまう。


惨憺たる有り様と思うが、あっけにとられるほどの、さばさばと突き抜けるような、この人の人生(の一瞬)。いま、わたし、何を見ているのだろう。


複数の物語の主人公たちが、それぞれ補完しあって、一人の女性になって立ち上がる。そのまわりの人々が(家族が、恋人が、友だちが)特別のひとりひとりになって浮かび上がってくる。
一方には、ドン底であがく人びとがいて、上から見下ろす人びとがいて、まわりでにやにやしながら眺めている人びとがいる、一つのその町は、どこにでもある名もない町になってしまう。


雑踏に紛れ込みそうなのに、見失うことのない一人の人をずっと追いかけていく。
短編集だけれど、(ルシア・ベルリンのもう一分冊『掃除婦のための手引き書』とともに)全部まとめて、一つの長い物語を読んだような気持になる。何が書かれていたか、というよりも、一作一作から滲み出る、あの人の気配をあつめるような気持ちで読んでいた。


一作あげるなら『笑ってみせてよ』
悪意ある訴えにより、刑務所にぶちこまれそうな女性の弁護を引き受けた敏腕弁護士。彼を語り手にして、依頼人とその周辺の人々の姿を描いていく。
滅茶苦茶な生活ぶりの一方で、不思議なくらいの清楚さや誠実さを感じる依頼人たち。
どうしようもない暗い世界に、見え隠れする小さな光。
常識的で、一見、依頼人たちと真逆に見える語り手の内側には、見た目とは別のものが潜んでいる。社会に順応する(でもそれはほんとうにうまくいっていたのか)ために押し込め、忘れていたもの、眠らせていたものの存在に気がついた。それは同時に、彼が、この世でどこまでも孤独であること(孤独でいつづけること)に気づくことでもあり、それを受け入れることでもある。
この短編集の内では、わりとセンチメンタルな物語、とも思うけれど、それでもこの作品が心に残るのは、語り手が彼だからだと思う。
私は、彼に共感しつつ、拒絶されつつ……そこに近づいていく。