『歩道橋の魔術師』 呉明益

歩道橋の魔術師 (エクス・リブリス)

歩道橋の魔術師 (エクス・リブリス)


語り手の「ぼく」も、その話し相手たち(各連作短編の主人公たち)も、三十年前には、子どもで、みんな中華商場で暮らしていた。
中華商場は一種の店舗付き住宅、あるいはアパートのようなものだろうか。
店舗付き住宅、というよりも・・・狭いスペースを店舗として最大限に活用するために、家族は屋根裏みたいなところにぎゅうぎゅう詰め合って暮らしていたのだ。
そうした小さな店がごちゃっと詰まって、独特の活気を呈している。
「中華商場」は全部で八棟あり、二つの歩道橋がかかっている。大きいほうの歩道橋は繁華街につながっていて、多くの物売りがいた。そして「魔術師」がいたのだ。
物語は10話。
どの物語も舞台は(今は存在しない)中華商場。
語り手は当時ここで子ども時代を過ごし、「魔術師」のことを覚えている人たち。なんらかの形で魔術師と接点をもち、夢かうつつかわからない不思議な(一歩踏み間違えたら違う世界に引きこまれるような)体験をしたことのある(あるいは、今もしている、これからするかもしれない)人たちの物語なのだ。


不思議な物語。ぞくっとしたりしながら、いったいそのことにどんな意味があるのか、といぶかしく思ったりする。
それは、まっすぐに伸びた道の途上で、ふとたちどまり、思わずふりむいてしまったために、ぐぐっと曲がりくねった側道に導かれ、または袋小路に誘い込まされ、見るはずのない光景を見ることになってしまったような・・・
背景にある中華商場という独特の雰囲気とにぎわい。貧しくて忙しい商人の子どもたちの大人の目の届かないところでのしたたかな日常とが、すでに魔法のようだ。
各物語ごとに捜してしまう。彼がどこにどのタイミングで現れるのか、どんな役割を負うのか、と。
そっちにいったら危ないぞ、と心が警告を発しているのに、魅せられてしまう不思議の存在。怪しくて、まぶしい、懐かしい。あれはいったいなんなのだろう。


考えてみれば、現実の世界こそ不気味で恐ろしい。現実なのに、むしろ非現実的な感じがする。いつも何か欺かれているような気がする。
それだから、魅せられるのだろうか。架空の世界の、架空の華やぎと妖しさのほうが、現実よりも確かなものに見えたりするのだろうか。
精巧なミニチュアの模型の「中華商場」が出てくる短編もあった(九話めの『光は流れる水のように』)
この模型が作られたとき、すでに中華商場はなく、ここに住む人びとは姿を変えてしまった。しかもこの模型は未完成なのだ。
しかし、この小さな世界から解き放たれた光のぼうっとした明るさ、慕わしさに酔う。この連作短編集『歩道橋の魔術師』一冊分そのままのようだ。