南の島のティオ

南の島のティオ (文春文庫)南の島のティオ
池澤夏樹
文春文庫
★★★★


初めて池澤夏樹さんの本を読みました。これは池澤夏樹さんがはじめて年少の読者に向けて書いた本なのだそうです。
ある島を舞台に、ティオと言う少年を語り手とした、10の短編が収められています。
まず一作目「絵はがき屋さん」を読みはじめたときから、どきどきしてしまいました。
不思議な物語なのですが、「突拍子もない」と言う感じではないのです。現実と地続き、と言うよりも、現実よりリアルな現実として、すんなりと受け入れられる「不思議」でした。
それは、人々の物語だったから、かもしれません。そして、その人々は、どの人もどの人も、知らない人なのに、なぜか懐かしい。ずっと昔(もしかしたら生まれる前に)私はこの人と親しくお付き合いしていたのではないか、と思えるような人たちだったのです。

南の島だもの、こんなに青い海と空、美しい山がある島だもの。不思議なことがおこってもあたりまえのような気がします。
魔法のような出来事が、日常の中にまぎれこんでも、少しばかりの魔法を持ってこの島に立ち寄る人がいても、不思議はないような気がします。

夢かと思うような魔法を目にし、耳にしても、この島にいたら、それが容易に信じられるのです。
そして、魔法があとかたもなくすうっと消えていってしまって、もう何処に行ってしまったかわからなくなっても、なんとなく納得してしまえるような気がします。青い青い空と緑の木々の間で、精霊が、聞き耳を立てて、何もかも見て、知って、土や空気の中に、物語をしみこませているような気がする。
そして、さびしさも、悲しさも、美しさの中に解け合って、この島の空気の一部になるのです。

この島を守る天のものがいたずらをすることもあります。怒りをぶつけることも、あります。天の正義が、地の正義と異なっていることもあります。だけど、それもまた、恐れ入って静かに受け入れることが「知恵」なのかもしれません。

人々のおおらかなやさしさや、あっけらかんとしたシビアさや、苦い後悔の涙や、夢や、願いや・・・そんなあれこれが島のあちこちから静かに湧き上がってきます。でもそれもみな、感情的に盛り上がることもなく、「民話」のように静かに事実だけが語られて、ゆっくりと語り終わります。だから読者もまた、そこに悲しみとか怒りとかの強い気持ちを持ちようもなく、ただ、人々の心の情景をなつかしみながら、すううと受け入れるだけなのです。この感覚がなんだか心地いい・・・
この島に来て、帰りたくなくなったあの二人の話のように、わたしもこの島の話を読み終わりたくなくなっていました。

それでも、この島の人々でさえ、少しずつ魔法を失っているみたい。
最後の「エミリオの出発」、この話の中で、エミリオはこんなふうに言います。
「きみたちだって、つまりこの島の人たちだって、昔はいろいろなことができたんだよ。でも、外国から品物が入ってきて、そういうものを相手にしているうちに、みんな忘れてしまったのさ」
先日読んだ星野道夫さんの「森と氷河と鯨」を思い出しました。クリンギットインディアンたちの知恵の言葉を。(あの本の解説を書いていたのが池澤夏樹さんでした)

そして、最後の「あとがき、あるいはティオのあいさつ」がとってもいいのです。
これまで、ティオは語り手であり、主人公だとも思って読んでいました。でも、実はこのティオはあまり個性的ではありませんでした。
ううん、けなしているのではないのです。ティオはどこにでもいる少年達のだれか、だれでもいいだれか、という扱いだったのではないか、と思います。
そして、このお話の主人公って、実は「お話」そのものだったのだ、と思うのです。あまりにステキなお話なので、そのお話の邪魔にならないように、少年の個性をなるべく目立たないようにしながら、お話の語り手として据えたのかもしれません。
だけど、この「あとがき」にきて、お話が全部終わって、舞台をおりたティオが、やっとほっと息をして、血の通った男の子として、目の前に現れて、少し照れながら挨拶をしたような気がしました。
ああ、君に今やっと会えたのに、もうおしまいなのか、と名残り惜しく、慌てて、手を振りました。