『赤毛のゾラ(上下)』 クルト・ヘルト

 

 

クロアチアのセニュは、アドリア海に面した漁師町である。
ブランコは、この町で、女工の母と暮らしていたが、きょう、その母は死んでしまった。父は放浪のバイオリン弾きで、いまどこにいるかも、帰ってくるのかどうかも、わからない。ブランコを引き取ろうとする身内はいないので、彼は町の浮浪者になるしかなかった。空腹に耐えかねて、落ちている魚を拾おうとしたら泥棒と罵られた。警察にひきわたされたところを助けたのは、赤毛のゾラとその仲間たち。
ブランコを含めて合わせて五人の仲間たちは、それぞれさまざまな事情から身内も帰る家もなく、徒党を組んで、盗み(食べる分しか盗らないとゾラはいう)をするので、町の人たちからは、ごろつき、と嫌われていた。
だけど、彼らは、誇り高い騎士たちなのだ。崩れた城跡を基地にして、16世紀に活躍したセニュの英雄ウスコックの騎士の名を名乗り、町のなかを駆けまわる。彼らには、彼らなりの誠意と正義感がある。
彼らに親切にしてくれる人には、彼らも真心をもって答える。
仕事をさせてくれるといえば、真剣に働く。
そうして、気がつく。彼らは町の鼻つまみ者ではないのだ。陰になり日向になり彼らを助け、味方する大人たちが、あそこにもここにもいることに。
さらに見れば、そうした大人たちは、決して豊かな暮らしをしているわけではないことに。
町の実力者やそのとりまきたちに、ごっそりと搾取される側なのだ、ということにも気がついてしまう。
法は、権力者のためにあるようだ。


町の実力者や警官たちをだしぬき、親の権力を笠に着て弱いものいじめをする中学生たちにゲリラのように戦いを挑む。
伸びやかに駆けまわる子どもたちの活躍に夢中になる。なにものにもしばられず、策略を練り、やりたいことをやりたいようにやってのける彼らに、喝采してしまう。


それでも、やはり、物語には終わりがある。限られた時間の物語なのだ。限られているけれど、ある意味、どこまでもつづく物語でもある。
最後は、ゾラとともに「ウスコックは不滅」と叫びたい。