『スコルタの太陽』 ロラン・ゴデ

 

山賊ルチャーノ・マスカルツォーネは、15年間の監獄暮しの後、死を前にして最後の罪を犯すべく、イタリア南部にある故郷、貧しい町モンテプッチョに舞い戻ってきた。
その罪から赤ん坊が生まれる。
この子を村の総意により殺そうとしていたところを救ったのが司祭ドン・ジョルジョだった。
子どもは、大きくなり、まるで復讐するかのように、父親を凌ぐならず者になり、村を震えあがらせた。
彼の名前は、ロッコ・スコルタ・マスカルツォーネ。最初のスコルタだ。
ロッコ・スコルタの子どもたち、それから孫の代に、物語は脈々と繋がっていく。そして、その次の代へと……。


ロッコの今際の「スコルタの者の飢えは満たされない」という誓いは、呪いのようだ。実際、彼の子どもたちは、町じゅうからつまはじきにされたのちに、貧困の中に放り出されたわけだし。だけど、今、思うのは、呪いのような殻を被った果実には、祝福が満ちていたのではないか、ということだ。


世代をまたぐ一族の物語である。
特異な育ち方をした兄妹たちは、固く結ばれていた。そこから始まる一族は、一つの身体のようだった。
そんなふうに始まったけれど、どちらかと言えば、地道に生きた人たちの物語ともいえるんじゃないか。田舎の村に留まり、こつこつと生きて死んで行った人たちの物語。
彼らひとりひとりの人生に感じるのは、どこか神秘的で魔術的な輝きではないだろうか。人が生きて死んで行くということは、マジックめいた不思議に彩られている。
どこにもマジックリアリズム的なものは紛れ込んではいないはずなのに、ときどき、幻想的な雰囲気を感じる。
代々、生きもののように姿を変えていく一族の姿と、どこまでも変わらずにお腹の中に据えられた約束とが固い果実のようだ。


読み終えて思い起こすのは、一族みんなが集まって、飲み切れない、食べきれないほど食べて笑ったトラブッコの一日。
エーリア(ロッコの孫にあたる)が、墓場で見た伯父たちと母の幻影。


夏の昼は激しい照りつけにより、地面はひび割れ、ろくな作物が実らない貧しい村。でもそこにはオリーブが茂る。
小さな村で結束した一族から、やがては固いつぼみがほぐれるように、外へ出ていこうとする(行かせようとする)者も現れる。
「村を出、北で運を試すことになる最初のスコルタ」という言葉に、遠くに、細く(でも逞しく)枝を伸ばす美しいオリーブの樹の姿を思い浮かべている。
樹は思い出を蓄えて豊かだ。樹の姿を思い描くと、ひたひたと喜びが満ちてくる。