『スモーキー山脈からの手紙』 バーバラ・オコーナー

 

スリーピングタイム・モーテルは、ハロルドとアギーが若い頃に始めたモーテル。スモーキー山脈国立公園の山々を見張らす。プールとトマト畑があって、客室は十室。シーズンには、お客さんがたくさんやってきた。
だけど、近くに高速道路ができてから、客足は途絶えた。アギーもハロルドも歳をとった。
最後のお客を迎えたのは三か月も前だ。
ハロルドが亡くなった今、請求書の山に囲まれた失意のアギーは、決心する。思い出のつまったモーテルを売ると、新聞に広告を出した。


そこに、近年では珍しく、三組の家族を、ほぼ同時に、お客に迎える。
三つの家族には、それぞれ、同じ年頃の子どもがいる。ウィロウ、カービー、ロレッタ。
それぞれ、けなげなくらいに自分が置かれた環境を(だって、子どもには変えることはできないのだ)耐えている。親たちには見えない(見ることを拒んでいることも)それぞれの課題が見えているのは、アギーだけのようだ。


アギーがこんなふうに述懐するところ、三人の子どもたちの紹介文みたいだ。
カービー:「あの子の家族ったら、何か悪いことをしないかって、いっつもあらさがしばかりしていて、いいことをしたってちっとも気がつかないみたいなのよ」
ロレッタ:「あの子ったら、お日さまの光が束になってるみたい。……あの子はこの山に、自分のちっちゃなピースをさがしにきたと思うの」
ウィロウ:「あの子は、お母さんをそれはそれは恋しがっていて……さびしくてたまらなかったのよ」


アギーが、自分は探しものの名人、と言っている場面があったけれど、ほんとにそうだと思う。彼女はみんなの探しものの手伝いをし、それぞれの持ち主に返すために、さりげなく、ささやかに、でも、この上ないことをしたのだ。
おもしろいのは、誰かのために探すことが、アギー自身の失くしものさがしになっていたこと。


それぞれの計画に夢中の親たちの間で、老人と子どもたちとが、何やらやっている感じだ。その何やらが、こんなにも大きな温かい塊になるなんてね。
最後にモーテルの看板に掲げられた「ただいま満室」って言葉が、いいな。ここを発つ人たちはみんなきっと「満室」を持って帰る。わたしもまた。また来るね。