『野呂邦暢 古本屋写真集』 野呂邦暢/岡崎武志/古本屋ツアー・イン・ジャパン

 

1976年前後のデジカメもスマホもない時代に、撮りためた古本屋の写真が計百二十八枚だそうだ。
第一部は野呂邦暢による古本屋写真集。
第二部は「古本のある日々」とした野呂邦暢の古本がらみのエッセイ集をあつめている。
第三部は編者の岡崎武志さんと古本屋ツアー・イン・ジャパン小山力也さんの対談、という構成である。


第一部、古本屋写真集。
ときどきピンボケの素人写真たちは、素人っぽさ故の親わしさ。揃って、まさか写真集になるなんて、と言いたげな眩しそうな様子に見える。
神保町、早稲田、渋谷、池袋、広島、荻窪……
書棚や店の前の台に積まれた古い本の背表紙や、張り紙。古い書体の看板や、ちょっと草臥れた日よけ。棚の前で本を探す客や、店の前を通る人の服装や髪型も懐かしい。
写真集の中を、懐かしい古本屋街を散歩するように眺めていく。


第二部の野呂さんの古本エッセイは、まるで、この写真集が出ることをあらかじめ承知していて、ここに添えるために書き下ろしたみたいだ。
手作りの凝った蔵書票のこと。
本を読んだ記憶には、内容のほかにも、本の紙質、形や装丁、本を読んでいる自分と取り巻く状況までも含まれる、ということ。
夢中で読んだ本のこと。空腹や失恋のやるせなさも、その本を読む快楽に比べたら何程のこともなかったという。


第三部の対談では、写真と対談とを行きつ戻りつしながら読む。写真には目利きだからこそ見える秘密が沢山隠されていた。


写真の頃から現在まで、五十年近く過ぎている。
「意外と変わっていない」と岡崎さんはいう。店の看板どころか、写真に写っている陳列台をそのまま使っている店が今もあるという。
一方で、古本屋もネットが主流になってきている現在、この写真集は、なくなりつつある風景なのだ、と小山さんはいう。


「この五十年くらいで消えていった煙草屋、米屋、順喫茶、麻雀屋なんかと同じで、業態そのものが消えて行った。本来は町の中に溶け込んで、他を邪魔せず、風景の一部だったもの」
それが、写真に写っている古本屋であるという。
それを知らないと、この写真集の店はみんな一緒に見えるかもしれない、という。確かに、そうだと思った。私には、各店舗の見分けがつかなかった。
でも、編者たちは「店主の個性を含めて、一軒一軒、全部違う」という。


野呂さんの古本屋写真のなかには、古本屋小説『愛についてのデッサン』の資料として撮られたものもあるようだ。
『愛についての……』に登場する佐古書店の佇まいについて、野呂さんの写真を片手に語りあう話が興味深い。
二人の古本屋通の話を参考書として、『愛についての……』読み返してみたい。


あとがきで、野呂さんが遺した写真を託された岡崎さんと小山さんとが、「これを独り占めしているのは何だか悪い気がする」というところから、古本トリオ(当然、亡き野呂さんを含めての)がタッグを組んで……と、この写真集の始まりを語っている。
また、「おわりに」で(できることなら、写真集が出る事を野呂さんに知らせて)「驚かせてあげたかったなあ」と語っている。
読んでいると、野呂邦暢さんが、編者たちと一緒に楽しい企み事をしている姿が目に浮かんでくる。
古本屋を愛し、古本屋の写真を撮ってきた、古本屋トリオが作った写真集なのだと思うと、この本から、ほのぼのと灯りがさしてくるように感じる。