『黄金列車』 佐藤亜紀

 

第二次世界大戦末期、列車は大量の貨物を引いて、ハンガリーのブダペシュトをオーストリアに向けて出発するのだ。貨物を守っているのは、ハンガリー王国大蔵省の官吏たちである。
貨物の中身といったら、金の延べ板を始めとして、膨大な量の、腕時計(高価なのから二束三文まで)、貴金属(これも高価なのからまがい物まで)、銀器に、毛皮、絹製品……
実は、これらは、ユダヤ人からの没取財産なのだ。ドイツの敗戦が避けられない今、ハンガリーには明日にもソ連軍が侵攻してくるだろう。
だから、「国がユダヤ人から没収した財産を守るために」国外に持ち出す必要があった。そのために仕立てられた列車だったのだ。


読み始めたものの、物語にのるのに時間が掛かった。
いったい自分は、この物語のどこに(どの人物に)心寄せて読んだらいいのか、わからなかった。
この貨物を守るために搔き集められた官吏たちは、自分たちが守っているものがどんなものであるか知っている。知って、「一瞬で老け込む」ような沈鬱を抱えつつ、与えられた仕事をただ律儀に遂行しようとする。
彼らに感じるのは、共感というより同情だった。だけど、やがて、誠実さと紙一重のところにあるしたたかさ、厭世感と紙一重のところのしぶとさも、ちらほらと見えはじめ、それぞれを追いかけることが面白くなってくる。
この列車の行く先(まったく見通しが立たない)を見届けたいと思う。(見届けられたのだろうか?)


主人公的な登場人物バログ(官吏)は、一見、地味な存在だ。主人公というよりも語り手、といったほうがいいような。だけど、彼は、最近、妻を「事故?」で亡くしたばかりだ。
物語の間に、時間を遡って、妻との生前の思い出や、ユダヤ人の親友とその妻子のことなどが、ぽつぽつと語られる。
目の前に爆弾を落とされたわけではないが、戦争により徐々に縮んでいくバログの人生が、先行きの定まらないまま重荷を積んで走り続ける列車に重なる。


戦争末期の混乱期である。
列車はあちこちの駅で足止めを食い、数か月の旅になる。
そこへ、ドイツやオーストリアの政府高官(の委任状持参のもの)やら、親衛隊残党やら、なにやらが、もっともらしい御託をならべて、こっちに列車を渡せと、次々に詰め寄ってくる。なにしろ、とんでもないお宝を積んだ列車だという噂だし、列車自体は、まがりなりの護衛はいるが、ほとんど丸腰に近い文人列車であるから。
理不尽な命令や、裏切り、公然の横領、武力による脅し……
その都度の官吏たちの駆け引きが見ものである。ただの一度も武器をとらず、一滴も血を流さず、怪しい輩を退ける手腕に舌を巻く。
とはいえ、積み荷を思い浮かべつつ、なぜ、そうまでして、と思う。
正義、誠意、責任……重たい言葉が頭に浮かんでくるたびに「それは誰に対しての?」と思う。
この列車の存在がそのまま、時代が産み落とした巨大な鬼子のようだ。
列車のまわりを飛び回る赤毛の少年の一団が、鮮やかに心に残っている。