『テンレの物語』 マリオ・リゴーニ・ステルン

テンレの物語

テンレの物語


北イタリアの山岳地帯である。
サクランボの木が生えた藁屋根の家がテンレの家。妻も両親も子どもたちも、そして家畜たちも、それぞれに居場所があり、くつろげる場所がある。
似たような家々が点在する村も、羊を放牧する山の斜面も森も、川も、肩寄せ合って素朴に暮らす村人たちも含めて、大きくいえば、テンレの家である。


この物語は、家に帰る物語だ・・・
テンレは、ある時から、帰る場所であるはずの家に、事情により、なかなか帰れなくなってしまう。(そのため、余計に、「家」には特別な響きがある)
まずまずの若い時に、警察と諍いを起こして追われる身となってしまう。
以後、特赦を得るまでの二十年間、あちこちを点々としながら働き、家は、冬のあいだ、闇に紛れてこっそりと帰ってくる場所だった。
第一次世界大戦の折、イタリア・オーストリア国境の村であった彼の村は戦場になり、住民は避難を強いられる。農地も放牧地も、荒らされ、無人の家々からは略奪の限りを尽くされる。
それでも、彼はひとり、家畜とともに家に帰る。
国境の村は、その時々でオーストリア領、イタリア領と、短い期間で変わる。村にひとり潜むように住み続ける彼は、オーストリア軍にスパイ容疑で逮捕され、収容所に送られる。
もはや若くない彼は、それでも何度も家に帰ろうと無謀な試みを続けるのだ。


彼を見ていると、家に帰る、ということが野生的な本能のようにも思えるし、彼を通して思う『家』がどれほどに自身と切っても切れない存在であることか、知る。
貧しい村、貧しい一家である。でも互いに肩寄せ合い、助け合って生きてきた。ずっとずっと。
家の中には絶やされることのない火が燃え、老いた父母、働き者の妻、子どもたちが、それぞれの居場所にいて、自身の仕事をしているのだ。家の戸口にテンレが立てば、静かに、明るい驚きが彼を取り囲む。
そういう光景が、ずっと物語を照らす灯りのようであった・・・


家に帰る。当たり前のことだ。
国境も、戦争も、テンレや村びとたちにはどうでもよいことであった。
先祖代々、この地に住み、細々と生活を築いてきた人びとに、国境の線引きに意味があっただろうか。
すぐ近くに響く砲声を聴きながら、テンレは悲しい気持ちになる。
「戦争をしたがっている権力者や夢に憑かれた詩人どもの残忍さのせいで、自分までも邪悪であるように思えてきて、苦悩とともにほとんど激怒に近いものを感じていたのだった。」
戦争を商売とし、ゲームとし、冒険とする権力者たちの卑しさと、彼らに駒として使われ、適当に転がされ死なされていく貧乏な人びとの群れ。その落差が浮き彫りになっていく。
短い間に何度も変わる国境線の顛末は、極めてブラックなユーモアのようだ。


テンレにとって、家とはなんだったのか。
家は入れ物である。彼を入れる入れ物であると同時に、彼の中にある入れ物であっただろう。それは、魂を入れる入れ物だ。
だからどうしても帰らないではいられなかった。家を失うことは、命を失うことに等しいことだったのだ。そう思う。
静かに、静かに、まるで、森の奥から響く声なき木霊が語る物語のようであった。
怒りも喪失の哀しみも森の土の中に沈み、ひそやかな地霊となって、宿る。厳しく激しく、そして限りなく静かに、鎮魂の物語になる。