『ミシシッピの生活(上下)』 マーク・トウェイン

 

ミシシッピ川の沿岸の町、ミズーリ州ハンニバルで少年時代を過ごしたマーク・トウェインは、町の他の子どもたちと同様、ミシシッピ川を上り下りする蒸気船の船乗りになることが憧れだった。
それで、彼は12歳で家を出て、船に乗り、水先案内人見習いになったのだった。


この本は、水先案内人見習い時代を描いた自伝的なもの、それから21年後の、友人たちとともに10日間かけてのミシシッピ川船旅の記録、とからなる。
間には、川や沿岸の町などの地理や歴史、こぼれ話や土地土地の伝説(?)など、それから、他の作品の一部として発表するつもりだった自作の短編物語などを気前よく披露してくれる。どの章もそれぞれおもしろくて、ときどきはかなりきつい皮肉がついてくる。


読んでいて最も楽しかったのは、前半の水先案内人見習い時代の思い出だ。
水先案内人という仕事がどんなに超人的に難しいか(その見る目の確かさときたら、記憶力ときたら、時々の更新力ときたら、とっさの判断力ときたら……)誇らかに語るのだ。
敏腕師匠と世間知らずの天然見習いの掛け合いのおかしさにくすくす笑う。
一方で、夜の難所を、衆目が息をのんで見守るななか、思い切った、でも適確な判断で乗り切っていく師匠の腕のすごさに、まるで冒険物語を読むような緊迫感を味わった。
そして、この師匠をトウェインがどんなに尊敬し慕っていたか、それとはっきり書かれなくても伝わってくるのだ。


修行が進み、見習い時代も終盤に差し掛かったころの心持ちを、トウェインはこのように書く。
「水が語る言葉をマスターし、この大河を縁どるありとあらゆる些細な事物にそれこそABCのように習熟するようになって、わたしは貴重なものを得た。同時になにかを失った。もう生涯戻ってはこないなにかが失われた。この王者の川の気品と美と詩情。そのすべてだ!」
成長の喜びと痛みを噛みしめる言葉と思う。
ミシシッピ川は、少年を大人の世界へと導く、巨大で、親し気な生き物のようだ。


巻末の解説『マーク・トウェインミシシッピ川の生活』(金谷良夫)に、
「トウェインにとって、ミシシッピ川は人生教育を受ける場であり一つの宇宙であった」
と書かれていて、本文を振り返りながら、確かに、と思っている。
また、マーク・トウェインという筆名が「水深二尋mark twain(船乗りが安心できる水深)」に由来する、ということも知った。
マーク・トウェインミシシッピ川は、さまざま違う表情を持つ唯一無二の川、人生の大きな一部だったのだね。