『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』 川内有緒

 

著者が、全盲の美術鑑賞者・白鳥健二さんと、美術館巡りをするようになったきっかけは、友人のマイティの「白鳥さんと作品を見るとほんとに楽しいよ!」という誘いだった。

 

美術館でアート作品を囲んで、著者とマイティは、自分が見えるものを、見えない白鳥さんに説明する。だけど、同じ作品を見ているにもかかわらず、二人の見方はびっくりするほど違っていた。見ているようで自分がいかに見ていないかを思い知らされる。
白鳥さんは、最初からオフィシャルな解説を望んでいなかった。むしろ、「彼は『分かること』ではなく、『分からないこと』を楽しんでいる」のだった。
白鳥さんに絵を見せてあげるつもりだった著者は、実は自分こそ見せてもらっていたのだと気づく。
「美術館という場所が、これまで味わったことのない種類の喜び、いやそれよりも深いなにかを与えてくれたような気がした」
それは、助ける・助けられるが、反転する新しい体験でもあった。
こうして、この三人を中心に、いろいろな人を巻き込みながら続いたいくつもの美術館めぐりは、私が思っていた「美術鑑賞」の印象を大きく覆してくれた。
なんて自由で、カオスで、何よりも楽しげなのだろう。
アートを見る、というけれど、「見る」ってどういうことなんだろう、と考えてしまう。


「目が不自由な人」という言い方がある。けれども、白鳥さんは自分が不自由だなんて思っていない。
「そもそも自分には、目が見えないという状態が普通で、“見える”という状態が分からないから、見えないことでなにが大変なのか実はそんなによくわからない」
またしても、ぐらり、価値観が反転する。
一体、障害ってなんなのだろう。
「思ったんだけどさ、障害ってさあ、社会の関わりのなかで生まれるんだよね。本人にとっては障害があるかなんて関係ないんだよ。研究者や行政が『障害者』を作り上げるだけなんだよね」
という言葉も印象的だ。
読めば読むほど、白鳥さんって、なんて自由に豊かにこの世を闊歩する人だろうと、その行動力にも考え方にも驚いてしまう。
著者と白鳥さんとで、「障害」について、「差別」について、語る言葉に、何度も、どきっとする。わたしのなかにも巣食っている差別にも気がついてしまった。
例えば……
私が、誰かの役に立ちたいと願うとき、その「役に立ちたい」はいったいどの根っこからどのようにして生まれてきたのだろうか。
私が「差別はいかん」と言うとき、自分が当事者ではないところからの、守られた安全地帯からの、無責任なスローガンにすぎない、ということはないだろうか。
私は、そう簡単に答えを出してはいけないような重たい課題を手渡されたのだと思う。白鳥さんと著者との会話のなかには、まだまだたくさんの課題が詰まっている。(課題であるとともに、宝の地図でもあるはずだ。)


白鳥さんとともにめぐる美術館の記録は、私たちを誘う美術館案内でもあると思うのだ。
驚くのはアートという分野の広さだ。暮らしや介護、体験、その場に宿泊した人の夢までが、そのままアートになりうるという、そんな美術館があるのだねえ。
それは展示、鑑賞というより冒険みたい。
果敢に、芸術を遊びに巻き込むようにして(巻き込まれるようにして)元気に美術館の扉をくぐっていく、見える人と見えない人のグループに案内されて、わたしも美術館にいきたくなった。
こんなグループに同行させてもらえたらどんなに楽しかろう。


美術鑑賞者・白鳥健二さんの今の肩書は、写真家だそうだ。