『アヒル命名会議』 イ・ラン

 

文章はゆるく、くだけていて、物語の思いもよらない展開は新鮮。ときどき、くすっと笑ったり、あっと驚いたり……次は何が出てくるだろう、と楽しみな13編の作品集。
横書きで、軽やかな印象だ。
だけど、この本は、見かけほど軽くはない。


『アヒル命名会議』では、神様っぽくない神様たちが集まって、作り立ての新しい生き物に、名前をつけようとしているところだ。
「アヒル」と名づけられるのだろう、と思うのだが……。ええ、アヒルじゃないのかなあ。
別の名前で呼ばれると、生き物の姿かたちが、ぼやけてくるような、奇妙な感じ。


最後の作品『キョンヒ台風』では、名前をつけるのは人の子だ。今度くる台風に名前をつけようとしている。


『後で来てください』の主人公の名前は、名前だけでは男なのか女なのかわからないことになっている。
『贈与論』では、誰かの「姉妹」という言葉が使われる。年上なのか年下なのかをわざと曖昧にすることで、固定のイメージから解き放たれようとしているようだ。


名前には、名前から連想するイメージがついてくる。
名付けたり、名前を呼んだりするとき、そのつもりがあってもなくても、名前といっしょにあるイメージも思い浮かべる。
与えたいイメージと、脱したいイメージが、ある。
名前を付けることと、名前をとりあげること。名前を呼ぶ事と、名前の境界をぼやけさせること。名前を消すこと。


たとえば、「性的マイノリティ」という言葉も一つの名前だと思うけれど、もし、もっと私たちが自由になって、誰にも憚ることなく、のびやかに自分らしい生き方ができるようになれば、こういう名前は必要なくなって、消滅してしまうのだろう、と思う。


『セックスとコメディ』
主人公の女性は、シナリオ・ライターだ。
最近はなかなかもらえない長編映画の仕事が舞い込み、打ち合わせに出かけて行く。
製作会社の社長が、映画化のために、ほれこんで版権を買い取ったというマンガを、彼女にみせて、これこそ「健康な女性のためのセックスコメディ」だというが、これは……。
最初は戸惑っていたシナリオ・ライターだが……反撃に出る。思いもかけない反撃方法にどきどきした。


『後で来てください』
自分宛ての荷物が隣の家に誤配されてしまった。
取りに行くと、インターホンごしに「後で来てください」と言われる。荷物を受け取るだけだから、と繰り返すが、苛立った声で「後で来てください」と繰り返されるだけ。
困るのだ、だって……。
受け取れない荷物を巡るさまざまな妄想。そして……この主人公も思い切った行動に出ます。


『韓国人の韓国の話』『贈与論』『キョンヒ台風』に出てくる「ママ」の強大さにたじろぐ。
ママは良きにつけ悪しきにつけ、娘たちの前に君臨している。
だじろぐけれど、娘の側には、ちょっとだけ温かい余裕が見えるのが好きだ。