『Nobody's Secret』  Michaela MacColl

Nobody's Secret

Nobody's Secret


エミリー・ディキンソンが探偵役のミステリがあると教えてもらって、これは気になっていた本でした。
主人公は、15歳の少女エミリー。
家事が大嫌いで、母が望む家庭的な女性像には反発、息が詰まると感じている。
好奇心旺盛で頭がいい、度胸もありますが、繊細です。
魅力的な少女ですが、私には、この子が詩人のエミリー・ディキンソン本人とすんなり受け入れることができませんでした。(何が悪い、というわけではありません)
マイケル・ビダード&バーバラ・クーニーの絵本『エミリー』や、エリザベス・スパイアーズの『エミリ・ディキンスン家のネズミ』を読んだときには、本の中のエミリーをすうっと受け入れられたのに。
なぜかなあ・・・何がちがうかなあ・・・
思うに、どちらの本のなかのエミリーも、直接彼女自身が主人公ではなく、ほかのだれか(語り手の少女やネズミの娘)を通した、間接的な印象・気配だったからだ。
間接的であるから、浮かび上がってくるエミリー・ディキンソンの印象はちょっとぼんやりしている。だから、そこに、自分のイメージを付加することができたのだと思う。
この本でも、そういうエミリーとの出会い方をしたかったんだ、と今更ながらに気がついた。


あとがき(Auther's Note)によれば、作者は12歳の時、エミリー・ディキンソンの詩に出会い、ディキンソンと自分は物事を同じように見ている、ということに気がついて驚いたそうです。
主人公の少女のモデルは、エミリー・ディキンソンの若い日の姿、というより、ディキンソンの詩を愛する作者本人の若い日の姿のようにも思えます。


I'm nobody! Who are you?
Are you nobody, too?
・・・
エミリー・ディキンソンのこの詩句から物語は動きだします。


草の上に、じっと寝ころんで、自分の顔にミツバチが止まるのを待っている少女エミリーの前に表れた名も知らない青年。
(作者が12歳の少女だったときに、ディキンソンと自分には物事が同じように見えている、と感じたように)エミリーとこの青年も互いに同じように感じるのです。
彼らが会って話をしたのはたった二回。時間にしてのべ十数分、というところだろうか。互いに名前さえ知らない。(だから彼はMr.Nobody)
でも、彼らは同じ言葉を話し、同じものをよしとしていることを確認しあえる、親しい友人になった。
ところが、あっというまに、青年はディキンソン家の池でおぼれて死んでしまう。
読んでいるほうはショックである。ミステリだもの、まず事件が起こるものである。でも、こんなに素敵な人をなぜ殺す。ひどいではないか。
・・・ひどいのである。名前も知らないよそ者のまま、彼は葬られようとしていた。
しかし。
生前の彼を知り友人と思っていたエミリーにとって、彼の死は奇妙なことだらけ。もしかしたら、彼は殺されたのではないだろうか・・・と疑いを持つ。


ミステリとしては、かなり早いうちに、青年が殺された理由もわかるし、名前も身分も、わかってくる。犯人のめぼしもつく(方向として大体あっちの方、という程度には。・・・^^)
謎ときよりも、19世紀半ばの窮屈な暮らしを強いられる(?)良家の娘が、初めての探偵仕事をどのように進めるか、その大胆な冒険がおもしろかった。


どんなに押さえつけられても、風のように光のように、締め付けから逃れ出ていく少女の大胆さが一面気持ちよくて、一面危なっかしい。
一方、独自の感性が、彼女を周囲から浮き上がらせて、どんな孤独を強いていたことか。
彼女がここまで熱心に真相を追い求めたのは、彼女にはずっと抱えてきたやりきれないほどの深い孤独感があったからだと思うのです。
Mr.Nobodyの登場により、だれともわかり合えなかった彼女の深い部分にある感性が、初めて通じあえる感性に出会ったのでした。
一番最初に死んでしまったはずのMr.Nobodyの存在は、読んでも読んでも、決して薄れてこないどころか、ますますいきいきとして、鮮やかになっていくよう。
そして、それがやっぱり辛いのだ。どんなに鮮やかでも思い出は思い出、彼の時は永遠にとまったままであることをその都度確認してしまう。