『スリーピング・マーダー』 アガサ・クリスティー

 

 

新婚のグエンダは夫と暮らす家をさがしていた。その家を初めて見たとき、よく知っているように感じた。(実際にはないのに)そこにあるはずだと思えてならない仕切りのドア、芝生に降りる階段、子ども部屋の壁紙の模様。
この家は、いったい……。
そして、あるとき、ふいにグエンダの目の前に甦ってきた光景は、この家のホールに横たわる女性の死体と、それを見下ろしている男の後ろ姿だった。


グエンダは、記憶にないくらい幼い頃に、この家を知っていたのではなかったか。何かを目撃したのではなかったか。
そのように解き明かしたのはミス・マープルだった。
覚えていないことが、ふいに切れ切れに甦り、今までこうだと思っていた景色をがらりと変えてしまう不思議さ、不気味さ。
だけど、ミス・マープルは難しい顔をして忠告する。
「眠れる殺人事件はねかせておけ」ということを。
……とはいえ、ここで手を引くなんてできるだろうか。グエンダと夫は過去にこの家で本当は何が起こったのか、グエンダは何を見たのか、独自に捜査を始めるし、そうなればマープルとしても放ってはおけないのだった。
マープルは、なぜ、ねかせておくべきと考えたのか。それは正しいことだったのか。


ミス・マープルが活躍するシリーズは、長編12編、短編1編。これは、その最終巻だ。
老嬢と呼ばれるマープルは、巻を重ねる毎に年も重ね、歳とともに体も弱ってきていた。
大好きなガーデニングは、一切できなくなっていたし、日々の生活には、頻繁な休息が必要だった。
心は若々しいままであっても、それは、やはり寂しかった。
この巻では、さらに……と思っていたのだけれど、違った。
これは、マープルのちょっとだけ若い時の物語なのだ。
マープルの懐かしい友人たち(すでに亡くなった人も)が元気にしていて、マープル自身、庭にはびこる蔓草と格闘したりしている、そういう頃。作品の年代でいったら『動く指』のあとくらいの感じだ。
ずっと時間が無情に流れているのを感じながらここまで読んできたので、ふいに過去に戻った感じは、なんというか、気持ちがふわっと浮き上がったようだ。
この物語のテーマが「回想の殺人」であるように、この物語そのものが(シリーズの)回想のようだった。


ミス・マープルのシリーズはこれでおしまいだけれど、マープルが活躍する短編は、まだいくつかあるそうなので、また会えるのが楽しみです。