『戦争と児童文学10 転がり落ちていくオレンジと希望 『戦場のオレンジ』~憎しみのなかを走り抜ける少女』繁内理恵

 

みすず 2019年 12 月号 [雑誌]

みすず 2019年 12 月号 [雑誌]

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 2019/12/02
  • メディア: 雑誌
 

 

連載『戦争と児童文学』第10回 「転がり落ちていくオレンジと希望 『戦場のオレンジ』~憎しみのなかを走り抜ける少女」(繁内理恵)を読む。


今回とりあげられたのは、エリザベス・レアード作『戦場のオレンジ』。内戦のレバノンベイルートの町を、病気の祖母を助けるために、境界線を越えて、主治医のところに薬をもらいに行く少女の物語だ。


アイーシャのいる場所では、人の命が大きな暴力にゆだねられ、翻弄されている。その事実の重みと、それでも読み手の心に一筋の希望という火を灯したいという願いとの葛藤を、私はこの作品から感じる」
「私がこの作品に惹かれているのは、レアードの葛藤が次世代の子どもたちへの深い思いから生まれているのだと感じるからなのかもしれない」
繁内理恵さんの、子どもへのまなざしはいつも温かい。子どもが普通に守られて生きることを阻むものに、毅然として対する言葉を、いつも信頼してきた。

 


少女の祖母の主治医であるライラ先生について書かれた部分は心に残る。
周囲の人に「あの人は聖人」とまでいわれるライラ先生のこと。
「彼女を民族や宗教というたった一つの属性で線を引く憎しみの呪縛から解放しているものは、医師として、一人の人間として彼女の中に育てられたアイデンティティなのだろう」
繁内さんは、一つでも多くの命を救おうとして国境を越えて活躍する医師たちに思いを馳せるのである。
ライラ先生は、(中東に、ことに内戦のレバノンに長く暮らしていた作者)レアードが様々な機会に触れた医師たちの面影を強く反映する人なのではないか、と繁内さんは書く。
一方で、ライラ先生と一緒に暮らすおばの、アイーシャへの憎しみにも、ライラ先生自身、同じ痛みを抱えるものとして、寄り添っていることを、あれこれの場面を上げて、示してみせてくれる。
短い物語であるけれど、そして、いちいち説明しないけれど、それぞれの場面の向こう側にあるはずの(必ずあるはずの)事情や思いが見えてくる。
そういうことを踏まえて、ライラ先生の「人をにくんじゃだめよ」がある。
繁内さんのガイドで、『戦場のオレンジ』を読みなおしてみれば、この言葉は、それ以前とは、いってくるほどにちがう重みをもって、迫ってくる。


もうひとつ、心に残ったことは、言葉についてだ。
敵味方を判断するために「外見だけではわからないアイデンティティをあぶりだすために言葉が使われる」と繁内さんは書く。
わずかなアクセントの差異で敵と断ぜられ、一瞬で命を奪われる内戦下で、アイーシャが、とっさに、聴覚障害がある友人サヘルから覚えた手話を使って切り抜ける場面は、そういう事情のあらわれだった。
どんな民族であっても、どんな宗教や主義をもっていたとしても、それら全部をおいておき、まっすぐに目の前の相手に向かい合える、音のない言葉の存在が、心に残った。