『戦争と児童文学7 基地の町に生きる少女たち『ピース・ヴィレッジ』~沈黙を解除する「語り」』 繁内理恵 (『みすず』2019.06月号より)

 

みすず 2019年 06 月号 [雑誌]

みすず 2019年 06 月号 [雑誌]

 

 

連載:『戦争と児童文学7 基地の町に生きる少女たち『ピース・ヴィレッジ』~沈黙を解除する「語り」』 (繁内理恵)を読む。


「一見、平和な子どもの日常を淡々と描いた小説だ。空爆も虐殺も何もない」
と、評論『戦争と児童文学』の七回目は、はじまる。

『ピース・ヴィレッジ』 岩瀬成子 は、基地の町岩国を舞台にした、現代の小説なのだ。
これまでの六回の連載でとりあげられた、空爆や虐殺のさなかを生きぬこうとする「戦争」の物語とは、この作品は随分違う。
平和である。という言葉で蓋をされて、見えなくされている戦争(大人たちの大多数があえて見えていないふりをしてやりすごす戦争)に、子どもは、目に見えない巻き込まれ方で、巻き込まれている。
『ピース・ヴィレッジ』の基地の町に住む二人の少女を繁内理恵さんは丁寧に見ていく。


「戦争の怖さより、誰も口に出さないことを言いたてることのほうが、現実世界ではずっと怖いことなのだ」
子どもは、気配に敏感だ。けれども、子どもの恐怖も質問も、まともに相手にされない。繰り返し戦闘機に追われる夢を見る主人公の少女楓について、「夢の中に閉じ込められる」と繁内理恵さんは言う。


「私も含め、大多数の日本人は戦争の記憶をきちんと受け継がなかった。記憶を受け継がないまま残されたタブーだけが広く浸透した社会には、不都合な真実を見ないようにする習慣だけが、賢いふるまい方として根付いてしまった。」
「大きな流れからはみ出さぬように、息を潜めて沈黙を守り、多数派に同調することを良しとしているうちに、戦争は形を変えて私たちの社会の底にわだかまり、うごめき続けている」


こうした人たちのなかにあって、誠実に、あるがままを見て聴いて、声を上げ続ける人は、「賢くふるまう人たちからは、まるで巨大な風車に突撃するドン・キホーテのように、滑稽に、青臭く、痛々しくみえる」
そうして、子どもの不安や恐怖は顧みられず、子どもは、大多数の大人に頼らないで、閉じ込められた夢から抜け出す道を探し、自分で、「自分がかけがえのない「ひとり」であること」を見つけ出さなければならない。
ここにも、やはり、自分にはまったく責任のない戦争に巻き込まれ翻弄される子どもがいる。


これまでの六回の連載を読みながら、感じたのは、様々な形で子どもが戦争に巻き込まれることに対する恐怖や、不安、憤りだった。
けれども、今回、わたしは(繁内さんの描き出す二人の少女を前にして)恥ずかしくて仕方がなかった。