『身の上話』 佐藤正午

身の上話

身の上話


古川ミチル。23歳。地方都市の書店に勤めている。
長く付き合っている恋人がいる。
どちらかと言えば地味で、堅実な女性の印象。
けれども、実は二股かけたもう一人の恋人がいて、その人を見送るつもりで出かけた空港から、ほぼ衝動的に彼と一緒に東京行きの飛行機に乗ってしまうのだ。
勤めている書店の休み時間の出来事で、しかも同僚たちに頼まれた「おつかい」の途中でもあったのだけれど・・・


「言うなれば、ここでもミチルは人を見誤っていたのです。正しく見ているつもりが実はそうではなかったという・・・」
見誤る、というなら、ミチルだけではなく、読者もまた、見誤り続けている。
そもそもミチルという女性が、読んでいるうちに、最初にもったイメージからどんどん変わっていく。最初からそういう人間だったのか、状況の変化によって、変わってしまったのか・・・
そして、ミチルの目で見た、ミチルのまわりの人間たちの、真の顔がわからなくなってくる。
最初にイメージした顔の造作が、読めば読むほどぼんやりとした霧に変わっていくような不気味さを味わう。
ぞっとする事件も起こるが、そちらに関わるミステリではない。
何より、この文章の柔らかさ丁寧さが、不思議で。落ち着かなくて。
これは、いったいなんなのだろう。


この本のタイトル『身の上話』
古川ミチルの話が延々と続くのだけれど、身の上話って、そもそも、当人が自分自身のことを語るものではないだろうか。
しかし、最初に、この話の語り手は、自分のことをミチルの夫だと名乗る。
夫が妻の身の上を語る? それにしては・・・
この語り手の「夫」について、不審な思いが消えない。この人はいったい何者なのだろう、とずっと思っていた。


最後まで「人を見誤っていた」と感じることをやめられないまま。
でも、最後の「感じ」が、読書中ずっと想像していたのとはずいぶん違うものであることに驚く。その驚きが、静かに余韻へと変わっていく。