スターリンの鼻が落っこちた

スターリンの鼻が落っこちた

スターリンの鼻が落っこちた


ホラー並みの恐ろしさだった。
いいえ、ホラー以上。だって、これはホントにあった話。
挿絵も怖いのだ。
たとえば、主人公サーシャ少年のアパートの共同台所の描写。
「ぼくたちは、みんなで一つの大家族だ」というサーシャの言葉どおり、大人たちの笑顔の輪がそこにある。
だけど、その顔を一つ一つ見ると、なんだか歪んでいるのです。すごく不気味な表情なのだ。少なくとも、楽しそうな表情はひとつもない。


ソビエトスターリンの時代、というのがどういう時代であったのか。
サーシャの父さんは秘密警察だ。
「ぼくらの国にふつうの人々のふりをして潜入している敵の正体を暴くのが仕事だ」とサーシャは無邪気に父を誇る。
みんな父さんを尊敬している、とサ―シャは素直に思っている。
絶句するしかないような事態を、サーシャの無邪気な文章で読むそら恐ろしさったらなかった。
しかし、ある日、突然の密告で父さんは逮捕される・・・
そして・・・


作者あとがきの最後の言葉は、
「いまも、世界中のあちこちで、罪もない人々が迫害を受け、正しいと信じたことのために死に追いやられているのだ」
こんなことは長く続かない、いつかは終わりの日が来る・・・本当にそう思っていいのだろうか。
終わりの日が来るのなら、「いまも、世界中のあちこちで・・・」ということがあるわけないじゃないか。
そして、それは、これからもどこからか、ひっそりと生まれでて、気がつかない間に手のつけられないほど大きなものに膨れ上がってしまうのではないか。
ホラーより怖い、と思った、この本の中の現実を、私も、私の子どもたちも、孫たちも・・・決して味わうことのないように、と心から望む。
サーシャの学校のある教室から聞こえてきた、ゴーゴリの『鼻』について語る教師の声が光のように胸に灯る。
「『鼻』という作品が、現代のわたしたちに活き活き語っていることは、つぎのようなことだ。わたしたちがだれかの考えを、正しかろうが、間違っていようが、うのみにし、自分で選択するのをやめることは、遅かれ早かれ政治システム全体を崩壊に導く。国全体、世界をもだ」


この絶望的な恐ろしさの中でさえ、しっかり希望の灯を掲げる児童文学のすごさ。