サリーのえらぶ道

サリーのえらぶ道

サリーのえらぶ道

  • 作者: エリザベスオハラ,Elizabeth O'Hara,もりうちすみこ
  • 出版社/メーカー: さえら書房
  • 発売日: 2011/12
  • メディア: 単行本
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『サリーの帰る家』の続き。シリーズ二冊目です。
ティローンに働きに行っていたサリーが家に帰ってきます。
新しい道を歩み出そうとするまでの一夏の休暇であり、幕間でもあるのがこの巻。
と、書きながら、休暇? 幕間? と考えています。
でも、やっぱりそうなんです。
進むべき道が見えていれば、頑張り甲斐もあるのだろうけれど、
幕間は迷って迷っているばかりなのかもしれません。何も起こらない、停滞している時間なのかもしれません。
人生のなかの休暇や幕間は、目標を持って夢中で駆けているころよりもずっと重たい大切な季節なのかもしれない。


考えようによっては、なんてひどい話だろう、忘れてしまえばいいのに、とも思える小さな場面が、
彼女のその後の人生で何度も振り返りたくなる素晴らしい思い出になっている。
忘れられない思い出の風景(?)って、どこの何につながることもない静かな一場面かもしれません。
誰が何と言おうと、自分にだけはわかる、甘美な一場面・・・
そういう場面がスナップ写真のようになって、心の奥に少しずつ重ねてしまわれて、後の人生に明かりを灯すだろう。


サリーは15歳。夏の初めには、こんなふうに考えていました。

>・・・自分の将来のイメージとして、日にあたる広い道が、遠くかがやく地平線まで、まっすぐにのびている風景を思いえがいていた。
けれども、実際には、何もはっきりした計画は持っていなかったし、その道がどこに向かっているのかも、まったくわからなかった。
それはわかる、と思った。
何も決まっていなくても、進路の選択肢はいくつかあって、その選び方も、進み方も、自分しだい、と思っていた。
たとえ、逆風が吹いたとしても大きくぶれることはないだろう、と考えていた。そう、自分が人生の主人なのだ、と。
でも、自分の意志に関わりなく、どうにもならない大きな力で簡単にその決定を捻じ曲げられることはときどき起こる。
まだまだ・・・きっとまだまだたくさんある。もっともっとひどいこともたくさん起こる。


苦いことや理不尽なことを経験した夏。
でも、いろいろな出会い(再会も含む)を経て、サリーはいつのまにか成長していた。
そして、彼女がどこまで意識しているのかわからないけれど、かけがえのない美しいものに囲まれて過ごしていたのだ。
あのお気楽なダブリンの女性の言葉に、わたしは賛成なのです。

「・・・あなたがたは、自分たちがどれほど幸運か知らないのよ。こんな天国のようなところで、こんなやさしい人のなかで暮らせるってことが。自分たちのことばを話し、おまけに新鮮でおいしいものが食べられて(中略)あなたがたのところには、たくさんのよいものがあるんですよ、サリー。」


さて、サリーの新しい旅が始まる。
旅の行方は、今のところ何も見えない。なんだか危なっかしいような気もする。だけどとっても楽しみでもある。
早く続きが読みたいな。