犬は神様

犬は神様

犬は神様


dogをひっくりかえすとgodなんだって。ほんとだ、初めて気がつきました。
そうだなあ、動物の無心さ、けなげさには、とても人は叶わない。
犬は神様・・・


山本容子さんは、小さいときから、暮らしのなかに犬がいるのが当たり前だった。
山本家の歴代の犬たちの肖像(?)、
だけど、ページの大半を割いているのが海から来たルーカス、最近死んだルーカス・クラナッハのことであった。
だから、やっぱりルーカスについて書かれた文章が一番心に残る。


ルーカスと山本容子さんの関係・距離感をとても素敵だと思った。
いっしょに暮らすなら、(過密な人間の町にはたくさんの決まりがあるけれど)ほんとうは、もっともっと自由でいてほしい、
元気なうちは最小限に干渉しあうよき相棒になりたい、と思った。
元気なころに保っていた距離感のバランスは、片方が年をとれば、変わってくる。
ルーカスの老いの姿は、せつなかった。そして、可笑しくもあった。そしてやっぱり愛おしかった。
ルーカスを看取る山本容子さんの気持ちをなぞってそう思うが、私自身が出会い別れて行った動物たちの晩年を重ねてもいる。


人間に比べてずっと寿命の短い動物と暮らす、ということは、最後までお付き合いするということは、なんだか人生の縮図と付き合うようでもある。
そして、その時々(幼年・青年・大人・初老・老人・晩年)の相棒に対して、どのように付き合うかを習ってもいるような気がする。
ことに老いていく者との付き合いは、
見守ることも看取ることも、残酷であり、哀れであり、切なくもあり、たいそう可笑しなことであり、悲しいことだなあ、と思う。


最後は、やはりこみあげてくるものもあった。
「今でも朝の味噌汁を作ろうとして・・・」のところを読みながら、わたしも思いだす。
わたしはシーチキンだったよ。
ずいぶん長いこと、シーチキンの缶を開けたとき、いつもの癖でとっておかなくちゃと思った。
そのあと、あ、そうか、もういいんだっけ、と気付いたものだった。
もうずーっとずーとずーーっと前だ。


別れは悲しいけど、あえてよかったよねえ。
人も犬も幸せだったねえ。