キャンバス

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天才画家エルネスト・スーニガの代表作『灰色の灰』を巨額で競り落としたのはプラド美術館
ところが、その披露目の除幕式で、画家は顔色を変える。
絵に瑕疵を見つけたから、直したい、と言いだしたのだ。数本の線を描き加えたいと。
でも、長年、名画として各方面から称賛されてきたのは、今のままの『灰色の灰』。
おまけに、すでに絵は画家の手を離れている・・・当然許されるわけないのだ。
というところから話は始まる。頑固おやじのエルネストにきりきり舞いさせられるのは一人息子のファンである。


とてもおもしろかった。
まず、「やってのけたこと」が見事であった。清々しくて洒落ている、と思う。
でも、それ以上に形のない部分の「成功」に感動する。
たとえば親と子の関係、師と弟子(のちの親友)の関わりについての着地点としてのラストが清々しかった。
そして、あとから物語全体を振り返ってみて、
そうだったのか、そういうことだったのか、と驚くとともに温かい気持ちに包まれるのです。


天才の父を持った子は辛い。父と同じ道を歩きたいと思ったときはいっそう辛い。
父のような才能を持たない自分は、生涯絶対に親を越えることはできない、と早くにわかってしまう。
それでは別の道を見出すしかない。でもほんとうにそれでよかったのだろうか。
残酷だ。


画家エルネストの嘗ての美術教師であり生涯親友であり続けたぺピートだってそうだ。
彼の人生は苦しかっただろう、と思う。
エルネストに出会って幸せだった、不幸だった・・・どちらもYESなんじゃないかな。


ぺピートがエルネストに出会うことがなかったら、
ファンの父がエルネストではなかったら、
二人とも、もう少し平和な人生を送れたかもしれないが、
苦しくてもやはりこういう友・父のそばにいる歓びを知らないのは寂しかったかな。
でも、エルネスト本人こそ天才であるために、深い孤独な人生を生きなければならなかった。


エルネストは本当は情の深い人であった。
ただ、その気持ちを示すことに対しておそろしく不器用だった。
彼があふれる才能を捨てたならば、彼のまわりにはもっと大きな温かい人の輪ができていたのではないだろうか。


父のような天分を息子はもっていなかったかもしれないけれど、別の天分で父をしのいでいたのではなかったか。
それを示すのが、少年時代のあの夜の出来事ではなかったか。
天才って一種類のはずがない。


このラストは最初から仕組まれた父から子への最高の贈り物だった。
ラストに形として目にした洒落た事実ではなくて、その向こうにある形のないもの。
彼と父とが永遠に肩を並べて立つような、そういう並はずれた贈りものではないか。
希望、といってもいいかもしれない。


名まえでもない、どこに飾られるかでもない、何人の人が見てくれるかでもない・・・
後になれば、真実を知るのはただ絵だけになる。