雪の夜に語りつぐ

雪の夜に語りつぐ―ある語りじさの昔話と人生 (福音館文庫 昔話)

雪の夜に語りつぐ―ある語りじさの昔話と人生 (福音館文庫 昔話)


二月は忙しい。気ばかり急いて、このところいろいろなことが丁寧でなくなっている。こんなときだからかもしれません。この本を読みたくなるのは。
大好きな本をしばらくぶりに出してきて、ゆっくりゆっくり読みました。


この本を読んでいると、ああ雪降ればいいな、と思います。(ほんとに降ったら困るけど)
そうして、しんしんと降る夜に、笠原さんのようなおじさんがふっと「むかし聞かせようかな」と言ってくれないかな、と思う。
笠原さんの語り言葉は全部意味がわかるわけではないけれど、朴訥として、ゆったりと温かいです。
一つ聞く(読む)と、もうひとつ、もうひとつ、と次々にねだりたくなる。


からっ風に乗ってかすかに「ちーくりんぼ、ちくりんぼ。おばごの顔を見やあれ、見やれ」と聞こえてくるようでぞくぞくする。
「いきがポーンとさけた」とおまじないみたいに唱えてみます。


この本、後半の73の昔話(百物語含む)もいいのですが、前半の笠原さんの思い出話(語りを中心に据えた自伝のような感じ)が大好きです。そして、これがあるから、後半の昔話が、いっそう滋養を深めているように感じます。


笠原さんは、幼い日の冬の夜、お母さんの語る昔話をたっぷり聞いて育ちました。
さだめし同じ話が何度も何度も繰り返し語られたのだろう、同じ話を何度も聞いて覚えたのだろう、と思ったのですが、意外にもそうではありませんでした。
「おれたちの子どものころは、同じ話を二回聞かないの」と笠原さんは言われます。二回聞くのは「あっため返(けえ)す」と言っていやがったそうです。
同じ話を聞かそうとすると、「三助ばさが屁えこいた」と語り手はひやかされたそうです。


笠原さんは、たった一回だけ聞いた話をそっくり覚えていたのでした。ここに収録されているだけで73話もです。
テレビなどの娯楽がない時代だったからでしょうか。
雪に閉じ込められた厳しい新潟の冬、しんの闇に閉ざされた夜、そこだけ明るく暖かい囲炉裏のそばで、静かに語る母の声の魔法かもしれません。
その光景を想像しただけでほっかりと温かくなります。今が冬で嬉しいような気がしてきます。


幼い日に、昔話を語り聞かせられて育つ、ということは、こんな滋養と豊かさをその人に与えるのか、と、笠原さんのその後の人生の思い出話を読みながら感じています。


たとえば、第二次大戦中、戦場で、ひどい砲弾の攻撃を受け、壕の中でじっとしていたとき、虫の鳴く声だけが聞こえてきた、といいます。その虫の声を聞きながら、お母さんが聞かせてくれた虫の物語をお母さんの声とともに思い出したというのです。
「そうしると、いままではりつめていた気持ちがさ、なんだかなごやかに変わってくるんだね」と笠原さん。
昔話は遠い昔に一度聞いて消えてしまったのではなかったのですね。
昔話は、はるか遠くから、長い年月を越えてやってきて、地獄の戦場で、思いがけず、笠原さんを力づけました。
自分から思いだそうとしなくても、思い出のほうからやってきたのでした。どん底にいる笠原さんのところに。・・・それはなんという大きな暖かい力だろう。


年を重ね、「語りじさ」と呼ばれるようになります。昔話を語っていると、お母さんの「面影が出てくる」と言われます。「母親が聞かしたそのまんまのが、自分の頭に残ってるんだ」と。
もしかしたら、笠原さんは、お母さんといっしょに語っているのかもしれません。
口から口へ、親から子へと語り伝えられる昔話を語るとき、語り手は(聞き手も)、愛おしい肉親と、再び、三たび、会うことになるのかもしれない。昔話が持っている、読書とは違う力の不思議を思います。


何も難しいことは言わないけれど、訥々と語る笠原さんは、昔話が見えない力で、人生をどれだけ豊かに幸せなものにしてくれるものか、教えてくれます。