黙祷の時間

黙祷の時間 (新潮クレスト・ブックス)黙祷の時間
ジークフリート・レンツ
松永美穂 訳
新潮クレスト・ブックス


18歳の高校生が、美しい英語教師に恋をする。
ある夏の日に結ばれた。そして、その夏、彼女のことだけを思って過ごした。いつも彼女の姿を追いかけていた。
恋、というよりもむしろ憧れ、だろう。
あまりにまっすぐで、あまりに純粋で・・・
どんなに彼女のことを大切に思っているか、壊れそうな物をそっとすくい上げるような思い。
彼女と二人の未来は、彼女とともに語り合う一歩手前で、ああしよう、こうしよう、とひとり思いめぐらす。
実際、先生は若くて美しいのです。そして、泳ぎの名手でもある。スーパーウーマンですもの、誰だって憧れる。
彼にとっては女神のようだったに違いない。。
彼女について語る言葉を読むと、ふふっと思わず微笑んでしまう。


でも、彼女はほんとうに彼のことをどんなふうに見ていたのだろう。
愛していたのだろうか。ほんとうに。
さまざまに見え隠れする面は、明るい側面ばかりではなさそう。
彼女の思いはほとんど語られないし、彼女がこれまでだれとどのようにつきあってきたのかも語られません。
彼女は、彼を愛していたのだろうか・・・
むしろ、こういう関係になってしまったことや、年若い彼のひたむきな思いにとまどっているようにさえ思えるのです。
そして、何よりも、彼女は、彼の教師なのです。
抑えに抑えた彼女の感情を彼もまたとまどいつつ受け入れている。
受け入れつつ、自分だけが彼女のヒーローでありたいと願っている。
この抑えられた熱情がさらに激しい思いとなって、彼を苦しめます。


実は、この本のタイトル「黙祷の時間」というのは、亡くなった彼女の追悼式のことなのです。
学校をあげた追悼式で、粛々と進むその式次第のなか、
退屈しているあまたの生徒たちにまじって、彼は、彼女との思い出をひとつひとつ振り返っているのでした。
物語は、そして、文章のしっとりとしめったような独特の美しさは、もういない大切なひとへの思いにあふれています。
『アルネの遺品』をときどき思い出すのは、
ともに、亡くなってしまったかえがえのない人の思い出と思慕に満ち満ちているからかもしれません。


ドイツの美しい港町。海の青さが、目に焼きつくようです。
印象的なのは父親たち。
彼を見守る彼の父の温かいまなざし。
実際どこまで知っているのかわからないけれど、たぶん、ほとんど正確に把握しているんだろう。
そのうえで、彼を信じ、見守るその大きな愛情に打たれます。男同士。父と子の関係っていいなあ、と思いました。
逆に父一人娘一人、「子りす」と呼んでいつくしんでいた娘を失った父親のことは、あまりにせつなく心に残りました。


海に灰を播く場面は、まるで絵のように、静かで美しい。
彼女の死をゆっくりと受け入れながら、やがて、すっかり大人になっていくであろう彼。
それまでの過程がきっと、彼女を悼むことなんだろう。