11をさがして (文研じゅべにーる) パトリシア・ライリー・ギフ 岡本さゆり 訳 文研出版 |
11歳になるサムは、ある日、屋根裏部屋で、カギのかかった箱からはみだしている古い新聞をみつけます。
そこには、自分の幼いころの写真が載っていて、「行方不明」と書いてあったのでした。
詳しい内容を知りたいけれど、サムはそれ以上読むことができません。
彼は識字障害で、文字を読めないのです。
いったい何が書いてあるのか、箱のなかには何が入っているのか。
大好きなおじいちゃんマックとの暮らし。
同じ店舗付き住宅のアニマやオンジとの半家族のような温かい交流。
でも、もしかしたら自分はどこかからさらわれてきたのではないだろうか・・・
そして、「11」という数字に対する漠然とした怖さも、このことと関係があるのかもしれない。
サムは転校生キャロラインの協力を得て、三歳のころに何があったのかつきとめようとします。
こどものころ、自分はもしかしたらこの家の子じゃないんじゃないか、と想像したことがある。
たいていの場合叱られたり嫌なことがあったりしたとき。
自分は大金持ちのお嬢様(もしかしたらお姫様!)かもしれない、と。
ありえない、とちゃんとわかっているから、好き勝手なことを考えるのが楽しいのですよね。
でも、ありえたとしたら? その証拠をみつけたら?
ショックだ。
どんなに今の生活が大切か、自分の身内が大切か、気がついて、他所の子になんかなりたくない、と思うだろう。
マックは、今の生活をかけがえのないものと感じているし、おじいちゃんのマックを心から愛し、慕っています。
木工所を営むおじいちゃんを尊敬し、おじいちゃんの手ほどきで、少しずつ、各々の木の個性を知り、
そこから物を生み出すことを愛しています。
いつかおじいちゃんのような人になりたい、と思っていたのです。
そんなマックが自分の、どうしても思い出せない過去を知るために、
文字を読めないこと・書けないことの不便さ、はがゆさにいらだつ場面は、サムとともに辛い思いでした。
識字障害、ディスレクシア。
どんなに辛いだろう。
教科書も、先生が黒板に書く文字もひとつも読めないままにそこにすわって一日の大半を過ごす学校はどんなに苦しいだろう。
自分と同じ年の子どもたちが、なんの苦もなくすいすいこなしていくことが、
自分にはできない、と知ることはどんなに辛いだろう。
けれども、彼はおじいちゃん譲りの木を見る目を持っているし、
毎晩アニマに読み聞かせをしてもらって、たくさんの本をよく知っているのです。
彼の障害をありのままに受け入れ、ゆっくりの成長を静かに見守る大人たちの存在に胸が熱くなります。
そして、忘れるところだった。相棒のキャロライン。
引っ越しばかり転校ばかり、今年はこれで三校目。
だから友達を作らない、作っても無駄。
まるで本のなかに逃げ込んでいるかに見えた彼女も変わってきます。
それは控えめで目立たないけれど、サムに力を貸すことをきっかけにして、本の外へと徐々に出ていく。
その段階が物語の進むにつれてスピードアップしていくのは感動です。
彼女も傷ついていたのです。
謎が謎でなくなるとき、
それから、サムが持って生まれた才能を発揮して一つことを成し遂げたとき、
サムは自分がものすごく大きな困難に挑戦する力も持っていることを知るのです。
力を借りていただけではなく、相手を励ますこともできる自分でもあったのだと知るのです。
そして、自分で、自分の困難な道を切り開こうとする(きっとできる)少年の決心は、晴々とうれしいです。