二つの祖国(三)

二つの祖国 第3巻 (新潮文庫 や 5-47)二つの祖国 第3巻
山崎豊子
新潮文庫


舞台は日本です。そして、この巻のほぼすべてが東京裁判一色でした。
天羽賢治は、米軍中尉となり、モニター(米語と日本語の言語調整官、翻訳チェック)として、東京裁判に深く関わり、疲れ果てていきます。


辛い戦中の物語に、早く戦争終われ、と思いながら読んでいた二巻まで。
しかし、戦争が終わった時、廃墟となった日本で見せられたのは、やはり人間の醜さでした。
東京裁判の法廷の場面がずっと続きます。分かりやすい言葉を使って書かれているのですが、かなり読みにくかったです。
裁判形式の独特の会話(?)が苦手なのと、あとやっぱり、第二次世界大戦がどういうものだったかちゃんとわかっていないせいだと思いました。
裁く国アメリカ。裁かれる国日本。
その駆け引き(?)の中で、貪欲に、露骨に見える人間たちの醜悪さに、むかむかして仕方がありませんでした。

>「・・・この頃の知的日本人とか、進歩派といわれる連中は、戦争の責任をすべてスガモ・プリズンに捕らわれている戦犯にのみ押し付けて、りっぱな口をきいているが、見苦しい限りだ。ぼくが自分なりに理解していた日本人と、敗戦後の日本人の精神構造とが、あまりに違いすぎて戸惑っている」


>「――広島で見たあの死の世界のような光景は、おそらく生涯、僕の瞼から消えないだろう、日系二世の僕が、東京裁判のモニターになることを決意したのも、あの惨状を見て、敗戦日本のために何かなすことがあればと思ったからだ、原爆投下という人間として許されない殺戮を行ったにもかかわらず、法廷は隠蔽し、それでいて、文明の名において平和と人道に対する罪を裁くというのか――」

どのような場面でも、終始一貫して公正であろうとする一本気さ、責任感の強さは、清清しくもあるのですが、
このにごった水の中では、その性格のために、彼は絶えず苦しみ、追い詰められていくのです。
なんという皮肉なことだろう。


プライベートでも、賢治は、泥沼化した問題を抱え込んでいます。
公の場での白刃のような切れ味が、プライベートな場では感じられずもどかしい思いでした。
自分のことになると、賢治ほどの人でも見えなくなることもあるのかもしれません。
忠との関係は戦後なお深い溝へ。忠の頑なさは、兄の潔癖さと裏表で、相通じるものを感じました。
ある意味よく似た兄弟だと思いました。
純粋で一途な青年だった忠をここまでにしてしまったこの戦争の空恐ろしさを感じています。
夫婦間の問題は、いよいよ絶望的になってきますが、子どもがあまりにけなげでかわいそうでした。
梛子のことは、あの日、あそこにいたことの不運がだんだん確実になってきています。
(でも、彼女とのことは・・・賢治らしくないです。
どんな言い訳も許せない気がするのですが・・・そういうことを考える余裕もないほどに追い詰められていたのかもしれません)


しかし、多くの醜い人々のなかで、燦然と輝くのは、国境を越えて、偏見を真っ向から撥ね付けてまっすぐに立つ人々。
それは、数は少ないのですが、一巻にも二巻にも、そしてこの三巻にも出てきたのです。
忘れられないあの人、この人。
こういう存在が、賢治のような人々の勇気を鼓舞し続けます。
決して楽な生き方ではないだろうに、彼らの勇気にただただ頭が下がります。
そして、読みながら、ほっと呼吸できるのは、こういう人々に出会ったときです。
こちらの方に目を向けていきたい、と思います。