夕凪の街 桜の国

夕凪の街桜の国夕凪の街桜の国
こうの史代
双葉社


広島のあの日から10年たって、皆実は思う。
「ぜんたい この街の人は 不自然だ」と。
「誰もあの事を言わない」と。
・・・言わないのは、いまだにわからないから。わからないまま、ずっと続いているから。


夕凪の街は10年後。
桜の国は、ほぼ現在。


日本は復興し、もはや戦後ではないという言葉を、さして重く感じることもなく聞き流してきたのでしたが。
戦後ではない?
いいえ、戦争そのものが終わっていなかったんだ・・・
あの日から十年たっても、人は死ぬ。生きてもなお苦しみ続けていたのでした。戦争なんて忘れた、忘れようとする町の片隅で。
一次被爆で、父や母、伯父、伯母、近しい人々を失い、地獄をさまよい、二次被爆に苦しみ、
被爆二世三世という重たい言葉を背負って今を生きていく人々・・・


平和な風景なのです。
自分の回りを見まわせば、そして、この本のなかの主人公の回りを見まわせば、どこを見てもゆったりと平和なのです。
おだやかなのです。
銭湯でゆるゆるあったまり、歌の一つも出てくるくらい。空は何事もなく暮れていく夕焼け。
その平和な風景のなかに、突然、混ざる小さな言葉のないコマ。何の説明もないコマ。
そのぞくりとする冷たさが背中を逆なでする。
主人公は、この穏やかな街の中、人々の笑顔のなかで、常に、これを見ていたのか。
主人公は、そして、広島のあの日を生きのびた人たちは。
・・・「わすれてしまえばいい」・・・この言葉。それができないから、この言葉になる・・・


戦争。あの日の広島。
その恐ろしさは、たくさんの作品のなかで、たくさんの方法で描かれてきたけれど、
たぶん、どんなにしても描き切れるものではないのでしょう。
でも、この本。この本のなかにあるのは、あの日よりずっとずっとあとの日本です。ずっとずっとあと。
恐ろしい風景は何もないはずなのに・・・消えない。終わらない。
まわりじゅうが忘れている(ふりをしている?)中で、それなのに、今さら叫ぶこともできない。
静かであればあるほど恐ろしくて、悲しくて、・・・何も知らずに平和を享受している自分が情けなく思えてきます。
主人公の少女たちの沁み入るような微笑みを見ながら。


・・・ほんとうは、もう少し前に読んだ本でした。でも、感想が書けませんでした。どんな言葉も安易に言えません。
でも、この本の巻頭には「広島のある日本のあるこの世界を愛するすべての人へ」と書かれています。
私たちの愛する世界のなかに広島はある。
だから、あえて書きますね。
これは希望の本なんだと。
「夕凪の街」のあとに置かれた「桜の国」・・・被爆二世たちは、その心にも血にも、あの日の広島を記憶している。
そして、颯爽と生きていきます。

>そして確かに
このふたりを選んで
生まれてこようと
決めたのだ
おとうさんのことばは「お前が幸せになんなきゃ姉ちゃんが泣くよ」
・・・胸を張って、幸せになってください。幸せになろうよね。
夕凪のあとには空気も動く。風も吹く。