『こちら『ランドリー新聞』編集部 』 アンドリュー・クレメンツ 

「こどもたちが自発的に学習するとき、もっともよい成果をあげるものです」という持論を持つラーソン先生は、毎日授業のはじめに短い話をするだけで、後は、何ひとつ指導らしいことをせず、コーヒーを飲みながら膨大な新聞を読んで過ごすのだった。
新聞好きな転校生カーラ・ランドリーは学級新聞を作り、その社説で、ラーソン先生の授業を批判します。
ラーソン先生は考える。怒ったけれど、事実は事実だ。
カーラは考える。事実を語ることは間違ってはいないはずだ。でも、なぜ人を不快にさせてしまうのだろう。
クラスメートたちが動き出す。

嘗ては優秀な先生であったのにダメ教師になってしまったラーソン先生は、子供たちを信じる、真の指導者としての自分を取り戻していく。
また、以前は荒れて、新聞で人の弱点や失敗を突いて孤立した体験をもつカーラがラーソン先生やクラスのみんなと協力し、考えあい、「本当によい新聞とはなにか」ということを考えながら成長してていく。

  >事実だけを冷たい視点で伝える新聞は、
   じゃまなものをなんでもくだいてしまう氷山のようなものです。
   反対に、ものごとのやさしい面しか見ない新聞は、
   ゆらゆらうかぶ背骨のないクラゲのようなものです。

ランドリー新聞に投稿したマイケルの物語は心を打ちました。両親の離婚についての子どもの物語。「どうしようもない」「よくあること」といいながら、それが本当に自分の身にふりかかってきたら・・・
短い文章だったけど、響きました。
そのぶん、校長始め周囲の大人たちの挙動の茶番くささが際立って、カーラたちを応援したくなりました。

 挿絵の、ラーソン先生の教室、すてきでした。
校長をぞっとさせたあの教室。新聞がいっぱい積み重ねてあって、壁と言う壁に切り抜きがとめてあって、キャスターつきの本棚があちこちにある。屋根のなくなったエスキモーのテントみたいな読書コーナー(ここも切り抜きでいっぱい)・・・
ぞっとするどころか、すごく魅力的。本(や新聞、切り抜き)に囲まれた空間ってなんだか居心地よさそうな気がするんです。

だけど、妙なことが気になってしまう。
ラーソン先生、15年前は優秀な先生だったあなたがダメ教師といわれるまでになったのは、一体何故なんでしょう。