『ひみつの校庭』 吉野万理子

ひみつの校庭 (ティーンズ文学館)

ひみつの校庭 (ティーンズ文学館)


草太たちの小学校では、入学すると、それぞれが、校庭にある木をどれか一本じぶんの木と決めて、卒業まで観察ノートをつけることになっている。
この観察ノートが素敵だ。
どんなことを書いてもよいし、書かなくても良くて、投げ出しても咎められることはない。
提出の義務もないけれど、こつこつと続ければ、よいこともある。
小学生が、途中挫折しそうになったりもしながら、一冊のノートを、ひとつの植物の観察記録で埋める(強制されるわけでもなしに)ということは大変なことなんじゃないか、と思う。
ひとつの植物と、時間をかけて向かい合うことで、何か見えてくるもの、気がつくこともあるのではないか。
それは、子どもたちのその時のありようと結びついているはず、と思う。
それぞれのなかで、ノート一冊分の冒険をしている、とも思う。


とにもかくにも一冊書き終えて、ノートを校長先生に見せたら、続きを書くための新しいノートをもらえる。
それと、隣り合った秘密の庭に入る鍵も。
「鍵」というものには、深長な意味があるような気がして、ちょっとどきどきする。
主人公草太たちは小学五年生。子どもから大人へと体も心も大きく変わる時で、それぞれにとまどっている。
自分でも気がつかずに自分の中に埋もれさせていた痛みもある。
この鍵は、そうした彼らを次のステージへ向かわせる扉の鍵かもしれない。
そうして鍵をあけるところから、物語は動きだすのだ。


鍵をあけて入る秘密の庭では、たくさんの出会いが待っている。
不思議なことにも出会うけれど、それはほんとうに不思議なことだったのだろうか。
死んだように見えても次の季節には元気に息を吹き替えす植物、何千年何万年もの間生きながらえる植物などが次々に現れる物語を読んでいると、不思議なことが、当たり前のような気がしてくる。
人と植物の近しさに触れて驚く。
そして、やはり思う。成長すること、生きること、そして死んでいくことは、なんて当たり前で、なんて不思議なのだろう。


・・・ところで。
夏目漱石は、"I love you"を「月がきれいですね」と訳したとか訳さなかったとか(そんな話はでたらめ、とも聞く)
ではね、こんなのはどうだろう。
小学六年生。「枯れてしまったアオノリュウゼツランの横から、あたらしいアオノリュウゼツランが生えてきたよ!」
緑の風が渡っていく。気持ちがいいことだ。