『あのとき、この本』 「この絵本が好き!」編集部, こうの史代

あのとき、この本

あのとき、この本


71人の著名人が、リレーのように、絵本の思い出と、大切な一冊の絵本について、それぞれ見開き1ぺ―ジで語るエッセイ集です。
それぞれのエッセイに添えられているのはこうの史代さんの四コマまんが『ときこと本』 
まんがは、本を愛する女子高生ときこと、不思議な本との奇妙な友情物語。しかも、それぞれのエッセイでとりあげられた絵本に微妙にからんだ内容になっています。ブラックだったり、妙に不条理だったり、しんみりしたり、くすっと笑わされたり、でも、どの四コマからも、少女ときこの本へのひたむきな愛情が伝わってきて、妙に共感してしまうのです。
エッセイと四コマまんがが、ともに、各見開きのページを充実した一つの世界に作り上げている感じです。


どのエッセイも、目線の高さが著者も読者も同じように感じる。著者(その道の名の知れたプロたちであるけれど)に親近感をもってしまう。絵本話だからだと思います。
円卓で和やかに語り合う場に招かれているみたいで、「ああ、それはわかる、わたしにもよく似た思い出があるの」とか「あら、そんなことが」「ああ、なんて羨ましい」とか、相槌を打ちつつ、幸福な(そしてちょっと切ないような)懐かしさでいっぱいになっている。
わたしも一緒に語りたいよ。私の絵本話も聞いてくれませんか、と71人の方たちの仲間になったつもりでいる。、


わたしの一冊をあげるなら、バージニア・リー・バートンの『ちいさいおうち』
私が幼かったころ、絵本というと思い浮かべるのは、厚紙にけばけばしい色彩のもの。昔の本屋さんの店頭で、くるくる回る塔のような形の陳列台(?)に表紙が見えるように飾られていたものでした。(こういう絵本はおもちゃと同じ扱いでめったに買ってはもらえなかった)
あるとき、そんな我が家に『ちいさいおうち』がやってきた。小さい弟のための何かのお祝いごとのお土産だったのだと思う、お客様が私の弟にプレゼントしたのが『ちいさいおうち』でした。なんて新鮮だっただろう。この本と出合った時のことは鮮明に覚えている。こんな絵本は見たことがなかったのだもの。
子ども心に、「この本はちがう。どこがどうちがうかわからないけれど違う」と思った。絵のフォルムも色彩も、文字の配置も、そして、詩のような文章も、お話そのものも…何もかもが。
こういいう本が世の中には、子どものために「ある」のだ、ということが、信じられない思いだったのです。何度も何度も繰り返し読んでもらった。読んでもらって、すっかり暗記して、小さいおうちが好きになり、もっともっと好きになった。本来の持ち主であるはずの弟を差し置いて。
学校にあがり、少しだけ大きくなって、自分の本棚をもつようになったころ、姉のずるさ・せこさを全開にして、弟をうまいことまるめこんで、この絵本をとうとう自分の本棚に収めてしまった。そのころには、自分がどういう本が好きかわかっていたし、欲しいものが「本」であれば、大抵、買ってもらえることもわかっていたけれど、この絵本は特別。手放したくない宝物になっていた。


母親になってからは、子どもにせっせと絵本を読んだ。
思い出に残っている絵本を(たくさんあるうちの、たとえば)それぞれの子につき一冊だけあげるとすれば、
長女は『毛皮ひめ』 お姫様が大好きな子だった。
半分に割って中身を出したクルミの殻に小さくまるめた端切れや綿を詰めて、セロテープでぐるぐる巻きにしても持ち歩いていました。ぶつぶつと小さな声で一人事を言いながら。彼女はそのとき不遇の姫となり、茨の道を歩いていた。ときどき、セロテープがはずれなくなってしまって、「あけてー」と持ってきたのも懐かしい思い出。
次女は『はじめてであうずかん』
ぺたんと床に座って、膝の上に本を広げて、一人で黙っていつまでも、ページを繰っていた。図鑑が好きな子なんだなあ、と思っていた。大きくなってから知った。図鑑は彼女にはお話の絵本だった。各ページに出てくる生き物たちを主人公にしたお話が彼女の頭の中で展開していたのだということ。


まだ若かった私の妹が「小さい時の思い出の絵本は、幼稚園で読んでもらった『おおきなおおきなおいも』という絵本。すごく大きなおいもがでてくるんだよ」と言ったことがあった。
そのころ、赤羽末吉さんの『おおきなおおきなおいも』が我が家の本棚のすぐ手の届くところにあったので、「これでしょう」と手渡した。
黙って絵本のページを繰っていた彼女は「似ているけれど違うような気がする。もっとリアルな絵で、カラーだった。それにおいも、もっともっとずうっと大きかったんだよ」と言った。
長い時間を経て、絵本とは、なんて不思議なことをしてくれるものか、と感動したものでした。


『あのとき、この本』を読んでいると、次から次へと、絵本と過ごした思い出の場面があふれてきます。もっともっともっと・・・
なぜその絵本が好きだったんだろう。なぜそのように読んでいたんだろう。なぜその絵本を思い出す時、あの風景が浮かぶのだろう。
説明がつかないことがいっぱいある。説明がつかない、というより、つけたくないのだ。不思議を不思議なままにしておきたい大切な思い出が、絵本には詰まっています。
みんな、こんなに薄い絵本なのだ。それなのに、なんと厚い奥行きを秘めているのか。絵本、いったい何者なのだろう。