『パトリックと本を読む』 ミシェル・クオ

 

地球上で最も南部的な場所とも言われるミシシッピ・デルタ。
実験的小規模ハイスクール、スターズは、荒れていた。
課題山積みの生徒に、意欲のない教師、人生を諦めきった親たち。
授業に出てこなくなった生徒がいても、教師は気がついてもいない。


そのスターズの二年生のある教室は奇跡のように静かだ。生徒たちがビーズクッションに寄りかかって夢中で本を読んでいる。
このクラスの担任ミズ・クオ(著者)はハーバード大学卒業後、ロースクール進学前の二年間を、この高校にボランティア教師として志願した。
台湾からの移住者であり、娘には良い職、良い結婚を、と望んでいた彼女の両親は、この話を聞いて激怒する。殺されに行くようなものだ!と。
著者がこの職に志願したのは、公民権運動の指導者たちへの敬意があったことと、自分自身が白人至上主義の国のアジア系移民の子だからでもあった。


幾つもの試行錯誤を繰り返しながら、この若いアジア系の担任教師が生徒たちの信頼を得ていく様を読むのはミステリアスで楽しかった。
「先生はだれも傷つけようとしない。助けようとしてくれる。いまその助けを受けなきゃだめだろ。あきらめられちまう前に」
こう言ったのは、作文で抜群の伸びをみせたパトリックだった。


けれども、著者は二年でロースクール進学のために教職を去る。パトリックの噂を聞くのは、さらに数年後。
嘗ての教え子パトリックは殺人の容疑で拘置所にいた。
著者は、ロースクールと決まっていた職とを七か月間留保して、デルタに舞い戻る。
文章が得意だったパトリックは、今や、ほとんど文章が書けなくなっていた。文法ともいえないくらい初歩的な決まり事(アポストロフィーや大文字の使い方など)を忘れ、単語の綴りも曖昧……わずか数年、努力をしなかっただけで。その衰え方に愕然とする。
著者は、拘置所のパトリックと面会を重ね、彼のために本を選び、一緒に読み、宿題を出し、文章を添削する。
混乱し絶望している青年にとってこの授業は一つの逃げ場であったかもしれないが、最後のほうでは、この生徒は、教師でさえ思ってもみなかったほどの成長を見せるのだ。
パトリックの書いた詩や手紙……ことに娘に宛てた手紙の美しさときたら。もっと読みたい。まとめて本になったなら、一冊手許にほしいものだ。
二人が読んだ本(ミズ・クオが選んだ本)のタイトルを私はちょいちょいとメモする。
そう、この本は、小さな読書ガイドでもある。


著者はいう。
「静かな部屋と、たくさんの本と、大人の導きが少しあればここまで伸びる」
パトリックが特別ではない。
「なのに、それらが与えられる機会はほとんどなかったのだ」
それはなぜなのか。
パトリックと本を読み合う日々の間に、この国の差別の歴史、現状が、つらつらと語られる。
国をあげての巧妙で徹底的な不平等に怒るよりも茫然としてしまう。差別される側は、まるで絶望のなかに生まれ落ちてくるようなものではないか。どこに逃げ場があるだろう。


パトリックの(六歳になった)娘が、教室のなかでパパに買ってもらった絵本(俳句の絵本!)を得意げに抱いている場面を思う。
この子の未来がどうか明るくあれ、と願わずにいられない。