『アンジュール 』『 あめのひのピクニック 』『 セレスティーヌのクリスマス』  ガブリエル・バンサン

ガブリエル・バンサンの絵本のことを三冊いっぺんに書こうと思います。
バンサンの絵。絵が語る物語。線描の線の先にまで物語のある魔法の絵。


「アンジュール」

先日、むかしの絵本を納戸に整理しようと思い立ちました。すると次女が、「お願い、これだけは置いといて」と言ったのが、「アンジュール」でした。
文字のない絵本。バンサンの美しい線描画が、茶色のインクで、クリーム色掛かったページに広がっています。六〇枚もの絵が。
最初のページで、一匹の犬が走っている車の窓から放り出されます。走り去る車を必死に追う犬。地平線まで何も見えない道で、うなだれる犬。歩き出す犬。町の風景、田舎の風景、海辺の風景、様々な風景の中を歩く犬、走る犬。どこからも追われる犬。
言葉は必要ないのです。絵のなかの夕暮れ、犬の首筋やしっぽのさきまで、物語を語っています。悲しくて、さびしくて、それなのに、
その寂しさを包み込むように柔らかなタッチとその絵の余白とが優しいのです。小さな存在に注がれる大きなまなざしのように。
やがて、ひとりの少年が画面の奥のほうからゆっくりと現れます・・・
静かな絵本です。
この本を賑やかな娘が「一冊だけ手元に置いておくなら・・・」と選んでくれたことが、一寸意外であり、うれしかったです。


「あめのひのピクニック」

「くまのアーネストおじさん」という一連のシリーズの一冊なのですが、アーネストという名前のクマと、一寸生意気でおしゃまな子ねずみのセレスティーヌが一緒に暮らしています。このふたりの暮らしぶりがとても好きで・・・このシリーズすべて好きなのですが、あえて一番好きなのは、と言えば、この本です。
お弁当でいっぱいのバスケットを用意して、明日のピクニックを楽しみにベッドに入るセレスティーヌ。
ところが、翌朝。
>「よくおきき セレスティーヌ。きょうは でかけられないんだよ。どしゃぶりのあめなんだ」
ひざまづき、セレスティーヌの目の高さで、語るアーネストの体全体から温かさがにじみ出ているようです。
そして、次のページ――

長女が、この本を見ながら言いました。
「この人ってすごいよね。このページ、何にも文字が書いてないんだよね。なのに、このセレスティーヌの格好見て。言葉にならない気持ちがそのまま伝わってくる」

そして、このふたり、「あめのひのピクニック」というタイトル通り、ピクニックに出かけるのです。どんなピクニックか。そりゃも~う、素敵なんです。
そして、どこかで、ずーっと以前に読んだのですが(どこでだっただろう、読んだのだったか聞いたのだったかさえ忘れてしまいました)作者は甥とともにこの本とそっくり同じピクニックをしたことがあるんだそうです。
うっとり。


セレスティーヌのクリスマス」

これも「くまのアーネストおじさん」の一冊です。
クリスマスが近いので、この本も読んでみたいと思ったのですが、本棚に見当たらないのです。どこへいっちゃったんだろう。あとでさがさなくては。
クリスマスパーティーを計画するセレスティーヌにアーネストは「無理だよ」というのです。お金がないから。・・・しかし結局セレスティーヌに押し切られて、しぶしぶパーティーを企画するアーネスト。樅の木を森で切り、飾りを紙で作ります。セレスティーヌが絵を描いた招待状。手作り手作り手作りのクリスマス。
段々に盛り上がっていくクリスマスのムード。一体どんなクリスマスだったのでしょう。
私は、ツリーの下でくつろぐ子ども(子ネズミ)たちに囲まれて、大きなアーネストがお話を聞かせるところがとても好きです。
「むかーしむかーし、とおいくににね・・・」


結局、絵本を整理することはできませんでした。
本棚をパンクさせそうにしながら、そこにしっかり存在しています。
 娘たちも、しょっちゅう、小さいときに楽しんだ本をひっぱりだして眺めています。そしてわたしも。
絵本を開くのは、なんとなくほっとしたいとき。勇気付けが必要な時。
そうして満たされるのは、もちろん絵本自体が素晴らしいからなのですが、それとともに、絵本の向こうに子どもたちは自分の幼い日を見ているようです。
これらの本に夢中になっていた頃の幸福な時間を確認しているみたい。
そして私も、本を開くと、あのときの子どもたちの匂いがしてくる、息をひそめるようにして本を見入っていた子どもたちの肌のぬくもりが戻ってくる。
そういう感覚的な思い出が、散文的な日々をすごすために、すごく助けてくれるような気がするのです。
バーバラクーニー、ガブリエルバンサン、マリーホールエッツ、アロアカリジェ、ピータースピア、そして、バージニアリーバートン・・・
子育てするわたしの傍らにこうした絵本たちが寄り添っていてくれたことがどんなに心強いことだったか、と今更ながらに思います。