1878年5月から五カ月かけて、イギリス人旅行家イザベラ・バードは、通訳・伊藤という18歳の青年を伴に、東北、北海道を旅した。その記録が『日本奥地紀行』だった。
これは、民俗学者、宮本常一氏による、『日本奥地紀行』を七回に分けて読みこんでいく講読会の記録である。
巻末の解説「紀行文を読む」で、山崎禅雄氏が、著者の言葉を紹介している。
「こういう書物は、筆者の物の見方について教えられることが多いのであるが、著者がさりげなく見、さりげなく書いたものの中に実に多くを教えられるものである」
この本は、原典からの引用とそれについての細やかな解説とでできている。
一人のイギリス人旅行家が、当時の日本と日本人をどう見ていたかを読みながら、自分が生まれ育った国を新鮮な気持ちで見直す。
思い込んでいたことがそうではなかったり、その背景を知ることで意味が変わることがあったり……
明治の初め、日本の馬は小さくて、頭の位置が、大人の肩の高さくらいだったということに驚く。
イザベラ・バードが旅の道中ずっと悩まされたノミ、そういえば、確かに今は見なくなった。
秋田県の久保田で、イザベラ・バードはビフテキやカレーなどの西洋料理を出す茶屋に寄っている。宿場町の宿屋であっても、白飯にきゅうり、卵に黒豆程度。鶏肉が出れば上等、という旅路を辿って来て、東京から遠く離れた秋田でビフテキ?と不思議に思ったけれど、宮本常一氏は、その理由として、「瀬戸内海からの船がそのままここにやってくる」ことをあげていて、謎がとけた。
日本の大家族は、貧しさが生み出したものだ、と宮本常一氏はいう。バードが、ある村で、一軒の家に平均十人以上の人が住んでいる、と書いていることを受けて。
大家族は、労力を生み出すものだった。
アイヌに対する差別について。
宮本常一氏は言う。
「イザベラ・バードが日本人をどうみたかというだけでなく、アイヌをどうみたか、そして、日本人がアイヌをどうみたかということが(中略)われわれに一番反省を与えてくれるところではないかと思うのです」
これは、通訳伊藤のアイヌへの偏見(アイヌは犬と人のあいの子、など)と、イザベラ・バードの「ヒューマニスティックな態度」からの言葉だ。
反省すべきはそのまま受け入れながら、巻末の赤坂憲雄氏の『差別とは何か、という問い』で、ここには別の見方があると知った。著者の考えかたへの異論(?)を、そのまま解説として掲載することに、この本の懐の深さを感じた。そして、この本を読む私は、いろいろな物の見方があることを教えてもらった。おもしろかった。