『カリジェの世界』 アロイス・カリジェ/安野光雅(解説)

 

 

『ウルスリのすず』や『マウルスと三びきのヤギ』など、アロイス・カリジェの絵本が好きだ。遠い国の山の風に吹かれているような絵本だ。
スイスの山里に住む子どもたち(たぶん六十~七十年くらい前?)の日常を、素朴に描き出したような絵本。子どもたちは、細っこくてぽっきり折れてしまいそうな手足を持ち、だからと言って決してひ弱なイメージではない。働き者の両親の下で、よく手伝い、一方で、自在に山や谷を駆け回り、それぞれの悩みをなんとか自力で乗り越えようとしている。


小さな画集、のつもりで手に取ったこの本、各見開きの右ページにはカリジェの作品(油絵や水彩スケッチ、絵本の原画など)が紹介されている。
スイスの山村の風景、森、木、動物たち、家々、人びとの姿。
とりわけ、風景のなかに描きこまれている人を見るのがが好きだ。人が動き出して、風景が生活にかわる。
カリジェ独特のタッチで、少し長めの手足の人びとが、畑や庭で作業をしているところ、動物たちを率いて元気に山の斜面をのぼっていくところ、手をつないで道を急ぐ親子……少し大振りな動作が、静かで長閑な風景のなかで、丁度良いバランスになっているようだ。
わたしは、絵の中から吹いてくる気持ちのよい風を受けながら、絵の中の人や動物たちを眺めている。


見開き左ページは、安野光雅さんの解説になっている。
だけど、これ、普通の解説とちょっと違う。
安野さんの文章は、直接にカリジェの作品の説明をしない。カリジェの人生(伝記)を語らない。安野さんの(スイスへの)旅行記でもないのだ。
そもそも始まりは、カリジェの村への旅の、読者への誘いかけである。
方法は、「空想」号と名づけた手漕ぎボートで横浜から乗り出して、安野さんが子どもの頃に想像して遊んだ「ふちどり航海術」という方法でスイスへ向かう、それはのんびりとした楽しい空想の旅なのだ。
読んでいると、不思議、スイスの山村が絵になって目の前に浮かび上がってくる。それらを描いた幾点ものカリジェ自身の作品と、安野さんの文章が混ざり合うと、まだ見たことのない(実際にはないだろう)作品が、時には、カリジェのタッチで、時には安野さんのタッチで、目の前に広がるような気がするのだ。
カリジェ本人の姿もおぼろに見えてくる。くっきりではない。あんがい気難しい人だったらしいこと、人付き合いはあんまり得意ではなかったのかもしれないこと。でも、彼が家族と暮らした家の壁には、(彼が描いた絵本の)山の子どもの絵が残されていること。


この本(絵と文章と。カリジェと安野さんと。)を読んでいると、小さな木霊が聞こえてくる。
わたしは、ゆっくりと本のなかを旅する。


「むりにお話を作らなくても、身のまわりの(自然や生活や風景などの)ことをよーく見さえすれば、どんなに小さく、狭い世界でも、お話がいっぱいつまっている」
と、カリジェの絵本をとりあげて、安野さんは言う。そう、カリジェが描きだす子どもたちは特別な子どもたちではないし、描かれているのは、たぶん日常のなかの一コマだ。
カリジェの絵は、ささやかな一コマをかけがえのない「お話」に変える。