『きみの町で』 重松清

 

きみの町で (新潮文庫)

きみの町で (新潮文庫)

 

 

電車の中で、自分の席の前にお年寄りが立っていることに気がついた時・・・
休み時間ごとのふざけっこを黙ってみている気持ちは・・・
仲良しグループは、一緒にいれば、まあ楽しいのだけれど・・・
「知っていること」はたくさんあるのに、どうしても「知っている」とおりに、行動できないことがある。
人が集まれば、人の数だけある「わたしの正しさ」


2006年から2007年にかけて刊行された『子どもの哲学』全七巻(重松清監修)には、各巻に「おまけの話」として、その巻のテーマに沿った小さな物語がついたそうだ。
この本は、その七つのお話をまとめたものだ。
「よいことわるいことってなに?」というような、わりと身近でとっつきやすいテーマから始まり、少しずつ「自由ってなに?」「人生って、なに?」というような、抽象的で大きなテーマへと移っていく。
ほとんどのお話は、小学生(高学年)の子どもが主人公で、彼らが、家や学校で、ほぼ日常的に、あたりまえのように遭遇する出来事について、ちょっと立ち止まって考えてみようよ、という呼びかけでもある。
子どもが立ち止まって、おや?と思うとき、大人の私も、そういえば、その疑問、解決をもちこしたまま、ここまできちゃったよね、と思うこともある。


七つの物語の、ちょうどまんなかあたりに、別の物語『あの町で』という掌編が収められている。
七つのお話は、手をつないで、『あの町で』をぐるりと囲むように配置されているのだ。
「あの町で」は、東日本大震災を巡る、春、夏、秋、冬の四つの小さな物語で、四人の主人公が出てくる。彼らは、震災を機に大切な人や、あたりまえの生活を、断ち切られたままでいる。果たせないままの宙ぶらりんの約束もある。
その日、その瞬間まで、誰かがそこで生きていたという事実は、断ちきられたままの思い出は、この世のどこかに居場所をみつけられないだろうか。
「瓦礫ってのは、大きく見れば、あれ、ぜんぶ遺品なんだよな」
毎日、被災地の瓦礫を運び続けるダンプの運転士のことばが心に残った。


最後から二番目のお話の中に、「…どうか、生きることを嫌いにならないで」という言葉がある。
(……それでも、それでも、「どうか、生きることを嫌いにならないで」)
こういう言葉が、自分自身のために、ほかのだれかのために、ほろりと出てくる学問が、重松清さんの「哲学」なのだろう。いいなあ、と思う。