シャムロック・ティ

シャムロック・ティー (海外文学セレクション)シャムロック・ティー (海外文学セレクション)
キアラン・カーソン
栩木伸明 訳
東京創元社
★★★★


この本は「琥珀捕り」の姉妹編とのこと。
琥珀捕り」がカモノハシの文学であるとするなら、この本はさしずめルービックキューブだ、と書評家は言ったそうです。
「はじめはほとんど不可能に見えるのだが、手にとっていじりまわし、その仕組みがだんだんわかってくるにつれて病みつきになる」とのこと。


はじめに一枚の絵があります。
ファン・エイクによる「アルノルフィーニ夫妻の肖像」という絵。この絵をめぐって101章。
琥珀捕り」の姉妹編、とのことから、「琥珀捕り」を読んだようにこの本を読んでいました。
物語、というより、ひとつひとつの章が色のなまえであるから、色のイメージを形にしたのだろう、
そこにキイワードを絡ませて、大きなまとまりにしたのだろう、
とそう思いながら読んでいました。
たくさんの色の名前―しかも目の奥にしみるように残る色はことさらに緑。
たくさんの聖人の物語。
コナン・ドイルやオスカー・ワイルドにまつわる話。
不思議できれぎれのさまざまな会話や小さな事件。
・・・それらが繰り返し繰り返し、形を変えて表れるたびに、
これらがどこにどのように収束していくのかな、とのんびり考えていました。
それにしても、なんでこんなに聖人の名前が多いのでしょう。聖人の物語にこだわるのでしょう・・・
琥珀捕り」の琥珀にかわるものが聖人になるのかな、とぼんやりと思いながら、とろとろと読み進めていましたら・・・


後半・・・びっくりするような形でこれまでの断片がつながり始めました。
つながりはじめた、というより、ぼんやりと読んできたものたちが読者もろともに渦の中に引きずり込まれたような感じなのです。
このままぐるぐるまわされて、さあ、一体どこにたどりつくのか、皆目わからないのです。
琥珀捕り」の姉妹編ですって? そんな言葉にだまされちゃいけません。まったく別個の世界でした。
ルービックキューブとはよく言ったものだ、と思います。くらくら。


この物語の重層感。クラシックな雰囲気の独特の文章は、どんな物語にも似ていない、
それは「琥珀捕り」でも感じたとおりです。
美術史に興味のある人なら、もっともっと深入りできるかもしれません。
読みながら、何度も絵を確認したり、これまで読んださまざまな名前や事象を思い出しました。
第一章の緑色の二人の子どもの話に始まって、物語全体がもう、広大で緻密な伏線の寄り集まりなのです。
その伏線同士の微妙なつながりあいもおもしろいのですが、
そうした小さな寄り集まりが、もっと大きな塊に変わり、さらにもっと・・・
その都度「あっ」と驚いたり、あとになってから「そうだ、あれはあれのことかもしれない」とふっと気がついたり・・・
だから絶対読み逃がしている緻密な伏線が十個以上はあるにちがいないのです。
一読めの印象が新しいうちに再読したらたくさんの発見があるだろうとは思うのですが。


そして、物語に導かれながら、一枚の絵画を微にいり細にいり鑑賞させてもらいました。それも作者の思う方向にむかって。
まるで絵の中に奥深く入り込んでいくように。おもしろく不思議な体験でした。
強く印象に残っているのは、超写実的な(写実的すぎて本物とは思えない、超自然な感じなのですが)同じ絵が二枚向かい合わせに掛けられた部屋の描写です。
この絵の中に鏡があるのも印象的なのですが、
これが二枚向かい合わせに掛けられた部屋の真ん中に立ったら、きっとかなり不思議な感覚になるだろうと思ったこと。
ファン・エイクが「神の手」を持った画家であったとしたら、キアラン・カーゾンは一体何ものでしょう。
この絵の中に導き、迷子にしてくれたあなたは。