『彼の個人的な運命』 フレッド・ヴァルガス

彼の個人的な運命 (創元推理文庫)

彼の個人的な運命 (創元推理文庫)


『死者を起こせ』『論理は右手に』に続く三聖人シリーズ三作目。
マルトの元に、一人の男が助けを求めて飛び込んでくる。
マルトがまだ若かったころ、路上で出会い、ほとんど母のように慈しんだ9歳の少年の20年後の姿だった。
彼クレマンは、「罠に落ちた」という。二つの殺人事件の容疑者として追われていたのだ。


『論理は右手に』で登場したアクの強い探偵役ルイ・ケルヴェレール。鮮やかに事件を解決してみせたものだった。しかし、このたびは冒頭から、彼には肩すかしをくわされた気持ちであった。
わかっているすべての状況から見て、犯人はクレマンに間違いない、と譲らない。そんなに融通の利かない石頭だったか?
いや、融通が利かないのは、読者のわたしのほうか? 冒頭から、証拠も目撃情報も何もかもがそろいもそろって「あの男が犯人だ」と告げているなら、何の疑いもなく、その男はまず犯人ではない、と思いこんでしまうわけだから。
スタート地点はこんな具合。
石頭のケルヴェレールを動かすのはマルトへの情。それから、次々に起こること、わかってくることに、振り回されつつ、物語は進む。
シリーズ二作目で遠く旅した物語は、三作目で再びボロ館に戻ってきます。
このシリーズの主役は三聖人のうちのひとりマルクだったのかな、と今頃になって気がついたりもしています。
歴史学者たちがそれぞれの得意分野で、凡人には思いもつかない閃き(?)や思いもつかないボケ(?)をみせてくれるのが楽しい。
終わってみれば、伏線がなんてきれいにたたまれたことだろう、と思う。気を付けて読んでいたんだけれど、でも、膨大な文章の中から間違いなく伏線を拾う才能はわたしにはないみたい。
読後、そうだったのか、と納得したり感心したり悔しがったり。でも、終わりがよいから、悔しがるのはやめよう。


「友よ。同時に知的な行為と勇敢な行為をして、おまけに女の子を手に入れるなんてことは不可能なのだよ。なぜかというと、それではもはや英雄物語じゃなく三文芝居になっちゃうからだよ」との言葉に、にっこり。
英雄物語でも三文芝居でもどちらでもいいのです。でも、ボロ館で恋が成就したら、この素敵な均衡は破綻するんじゃないか、と危ぶむ。
彼らには気の毒だけれど、このままの状態で末永く続くシリーズであってほしいものです。


(おまけですが、例のあれの重要箇所の単語には、フランス語のルビがほしかったな。)