ワーキング・ガール―リディの旅立ち

ワーキング・ガール―リディの旅立ちワーキング・ガール―リディの旅立ち
キャサリン・パターソン
岡本浜江 訳
偕成社
★★★★


主人公の少女リディはしっかりものの働き者。でも、何度も彼女の道は閉ざされます。一体この子、これからどうするんだろう、と思う場面が何度も出てきます。
だけど、前向きな性格、根性、それから、これまで出会った困難から確実に何かを掴み取って生かそうとしている姿に、読んでいると気持ちがしゃっきりしてくるのです。
「誰の奴隷にもならない」という言葉どおり、たった13歳で、自分の道を切り開いていくのです。
物語のつくりは「家なき少女ペリーヌ物語」などを思わせるようなちょっと古い感じの丹念さ、おもしろさです。(でもペリーヌ物語より硬派な社会派^^)
クロッキー帳からそのまま取り出したようなクラシックな挿絵もまた、この物語にあっていました。

1840年代。
産業革命の波が押し寄せるアメリカ東部。
とうさんは借金を返すために仕事をさがしに家を出て西部へ向かい、そのまま帰ってこない。
かあさんはそのあと少しずつおかしくなってしまった。
二つ下の弟と、赤ん坊のような妹達、そして何もしないかあさんを助けてがんばってきたリディ。
やがて、一家はばらばらになり、さまざまなことがうまくいかず、リディは遠いマサチューセッツのローウェルの紡績工場に働きに出て行く決心をします。
当時の紡績工場の女工たちの実態が背景として描かれていきます。日本の女工哀史(「ああ、野麦峠」など)を思い出しましたが、この本の女工たちより日本のほうがもっとひどかったのでしょうか。わたしは本当は日本の女工たちの歴史を知らないのです。でも、きっと似ているところもたくさんあるように思いました。
よい賃金を得て、絹のドレスを着飾り、レディ然とした工女たち。日曜日は仕事は休み。工女のための寄宿舎の食事は美味しく、量もたっぷり。
ずいぶんよい職場だと思ったのです。
ところが、読み進むに連れて、当時の紡績工場のひどい労働条件が明らかになっていきます。朝は4時半から起きて夜遅くまで無我夢中で働き、吸い取られるだけ吸い取られたあげくに体をこわし、かわいたトウモロコシの皮のように見捨てられていく女工たち。
女性の地位は低く、理不尽な解雇などもまかり通っていました。

働き者のリディです。金の亡者のようにさえ見られますが、いつか家族みんなが一緒に暮らせるように、と必死で働き、賃金は地道に貯金します。
ほとんど読み書きのできない彼女でしたが、同室のベッツィに毎晩「オリヴァー・トゥイスト」を読んでもらったことから、本を読むことの喜びに目ざめる場面が印象的です。
本がリディアの世界を広げていく過程を読むのはすばらしかった。
読む力が、彼女の将来の扉を開く鍵になっていくところが。
そして、このベッツィの「お金を貯めて女でもいける大学へ行くのだ」という夢。あと一歩で夢がかないそうなところで病気になってしまう。彼女が一番かわいそうでした。

この物語の最初にクマが出てきます。家族が食事の支度をしている丸太小屋の中にクマが入ってくるのです。
このクマのことをおかあさんが「悪魔」と言ったのに対して、リディは「ただのクマ」と言うのが印象に残っています。起こった事件に対して必要以上に恐れると、その事件は、本来の姿を変えてより恐ろしいものになって自分の前に立ちふさがるのかもしれません。若干13歳で「ただのクマ」を「ただのクマ」と見ることのできるリディに感嘆せずにいられません。「ただのクマ」と認めることで、すでにクマを越えているのですよね。
これがすべてのはじまりだったわけなのですが、以来、何かを別の方向に転がす象徴的な役割として、節目節目にこのクマの幻がリディの頭に浮かぶのです。そして、「クマ」が現れるたびに、一歩ずつ少女は自立していきます。そうしてリディは何度も「旅立ち」を経験してきました。
最後にまた旅立つところで終わるのですが、リディのこのあとの人生もまた楽な道ではないかもしれません。でも、彼女なら大丈夫、どんどん太い幹になっていく大きな木のようだから。