ある秘密

ある秘密 (新潮クレスト・ブックス)ある秘密
フィリップ・グランベール
野崎歓 訳
新潮クレスト・ブックス
★★★★


これは私小説になるのでしょうか。
「ひとりっ子なのに、ぼくには長いあいだ兄さんがいた」という文から物語は始まります。
「ぼく」は脆弱な子どもで、美しい両親に比して、自分の肉体に関してコンプレックスを持っている。
両親には充分に愛されていながら、いつも何か漠然とした不安があり、孤独です。
想像力豊かな「ぼく」は、想像の兄を思い描きます。
想像のなかで一緒に遊び、何もかもを語り、けんかし、ときにもっとも近い存在、もっとも憎い敵として、この兄とともに過ごします。
何一つ欠けたもののない両親の、自分が生まれる前の家族の歴史を、想像力で補いながら描き出してみせてくれます。


ところが、この「欠けたもの」のない両親は何かを隠している。
少しずつ、両親や親戚までが共謀して必死で隠してきたものに、「ぼく」は気がつき、知り始めます。
そして、そのたびごとに、家族の歴史は、新しく書き換えられて、再び、私たちの前に差し出されます。
何度も何度も物語は書き換えられます。


両親の若い日に戦争がありました。フランスはドイツに侵略されました。
もし、ここにナチスユダヤ人迫害がなかったら、そこに手を貸した当時のフランス首相の言葉がなかったら、物語はちがったものになったでしょう。
失われたたくさんの尊い命。語る言葉を失う迫害の日々。
さらに、迫害から逃げ、命永らえた人々もまた、どうにもならないこと、自分たちに責任の所在のないことで、
戦後何十年ものあいだ、理不尽な苦しみと理不尽な罪の意識とともに生きなければならなかったのでした。
たぶん・・・この「秘密」と同じ秘密を抱えなければならなかった家庭は、ほかにもあったはず、と思います。


物語を書き換え、書き加えることにより、脆弱で不安で孤独だった「ぼく」は、少しずつたくましくなっていきます。
そして、彼の不安も弱さも、家族の中の「秘密」のにおいによってもたらされたもの、と知るのです。
完璧な家族のはずでした。
なのに、何かが喉元に突き刺さっているようではっきりしない。
何かさわってはいけないものがある。
両親が完璧に隠していたにも関わらず、子どもは、その秘密を知っていました。
どんな内容かはもちろん知らないけれど、
決して触れてはならないタブーをもち、思い悩み、苦しみながら生きている両親の、その気配を察していました。
そして、「ぼく」は漠然とした不安と孤独におびえて暮らす少年期を過ごしたのです。
子どもの心の不思議さに驚いてしまいます。
その敏感さ、というより、能力かもしれません。
(このあと6行ネタバレ部分・白フォントで書いていますので、反転お願いします)
彼が思い描いていた想像の兄は、実在していた兄と「瓜二つ」と言っていいほど似ていました。
彼は屋根裏部屋で兄のものだったぬいぐるみをみつけ、それがどんな物かも知らずに手許に置きます。(ああ、このぬいぐるみの物語といったら!) このぬいぐるみにシムと名づけるのですが、彼の兄の名はシモンといいました。
このふしぎな一致。親として、こわくなるくらいの。
それだけに、彼の不安おびえの深さに打ちのめされる思いです。

実際に起きた事柄によってもたらされた両親の苦しみと同じだったに違いない、
小さな体で必死に耐えていたのだ、と思うと、彼を抱き寄せたくなります。


でも、これは癒しの物語です。
何度も繰り返し、少しずつ形を変えて語られていく両親の出会いとその後の家族の物語。
秘密を明らかにすること、そして、明るい日のもとに家族の歴史を再構築していくこと。
生まれながらに両親の重荷を一緒に背負って生きてきた「ぼく」が癒されるために、それはどうしても必要なことでした。
そして、彼は、「知っていること」を彼の両親に語ることにより、両親をも痛みから解放するのです。
膿を出すのだ、とよく言うけれど、「語る」ことも「書く」ことも、このようにして人を救うのだ、大切なことなのだ、ということを知り、しみじみと感動するのです。


この物語は、両親が亡くなって20年たってから書かれたもの。
20年たったからこそ書けたものです。
両親には決して告げることのできなかった物語も含まれています。
そして、それを書くことが、最後まで自分を解き放つために、どんなに大切なことだったかも、理解できる気がします。
何十年も語れずにいた重い秘密を語ることで、もはや秘密ではなくなる。
そうして、読後は、心静かで一種清清しいのです。



【追記】(2010.3・2.)
夏目漱石の「こころ」を読み、この本の「秘密」と比べてしまいました。
遠い過去の物語も、今の物語も、それぞれに、少し似ていて、
大きく違っているところを、日本と西洋の「こころ」の違いのように感じています。