『蒼ざめた馬』 アガサ・クリスティー

 

ここに、九つの名前が記されたメモがある。
霧の夜に殴り殺された神父が隠し持っていたメモだ。彼は、ある婦人の最期の告解を聞き取った後にこのメモを書き、そうして殺されたのだった。
あとになってわかったことだが、このメモに書かれているのは、既に死んでいるか遠からず死ぬ運命にある人たちの名前だった。


ある村に三人の魔女が住んでいる。
彼女たちは、その場に居ながらにして、遠くにいる特定の人物を死なせることができるのだという。
ほんとうだろうか。
もしこの物語がファンタジーならば、私は、この話をまずは信じる側に付いて読み進めていくけれど、クリスティーはファンタジーを書かないだろうから、魔女の仕事には、種も仕掛けもあるはずなのだ。
とはいえ、読めば読むほど、不思議の度合いは増していく。起こるはずのない奇妙な出来事が次々に目のまえに並べられて。


若き学者マーク・イースターブルックの一人称語りの章と、警察側の地道な捜査を追う三人称語りの章とが平行して、物語は進む。
視点が主観と客観と入れ替わりながら、物語が進行していくのがおもしろかった。おもしろいと思っている間に、この入れ替わりの隙間のポケットに私は転がり込んで、そのまま置いてきぼりになっていたのかもしれない。


なにかが起っているのはわかっている。あそこになにかあるのもわかっている。でも何が?
マークは、相棒と協力して、敵をだしぬき、真相を暴くために罠をしかける。
計画にぬかりはない。自分のほうが敵より一枚上手、と思っていたのに、罠に嵌ってしまったのは自分等の方。刻一刻と大切なものが奪われる時間が近づいていく。たちこめる、オカルトチックな雰囲気のなか、不安な緊張感が一層高まる。後半のドキドキしたことったら!


物語はラブストーリーでもある。
相手に何を求めているか、何を望んでいないか、主人公の迷いを読んでいると、ふふっと笑ってしまう。
それは恋人への要望というよりも、自分自身の人生、何に重きを置いて生きていくかの確認のようにも思えたから。