『終わりのない日々』 セバスチャン・バリー

 

「私」ことトマス・マクナーティが相棒のジョン・コールに出会ったのは14歳の頃だった。
生い立ちは違うが、二人とも子ども時代を何とか生き抜いてここまで来た。
整った顔立ちの二人の少年は、女装して酒場で男たちのダンス相手をしながら食つなぐ。成長して体形が男らしくなってくると、食いっぱぐれがない軍隊に入隊し、インディアンとの戦争のためララミー砦に向かう。その後、除隊して舞台に立ったりしていたが、リンカーンの呼びかけの下「反乱軍」に立ち向かうため、再び、軍服を着る。


これはトマスによる回顧録であるが、ロードノベルともいえるのではないか。
二人の青年は、軍人として、あるいは追われるもの、追う者として、またはただ人に会うために、アメリカを北へ南へ、西へ東へ、旅をする。
ほとんどが、どこまでも続く荒野であるが、単調というイメージとは程遠い。春夏秋冬の季節のめぐり、いくつもの土地の形状は、彩り豊かだ。


トマスとジョンは親友で恋人同志、人生の得難い伴侶でもあるが、相手の何から何までを知りたいと思わない(むしろ謎の部分が多い事を互いに楽しんでいるような)関係のせいか、風通しがよい。
トマスは女の装いが似合う。自分は男というよりは女のような気がするというが、必要なときには男のズボンをはいて鉄砲を構えることにも躊躇はない。


一般人、軍人、一般人、軍人、一般人……繰り返す緩急の間にある平和は、ほとんど家族のような友人たちによってもたらされるもの。
何度ものっぴきならない事態に追い込まれるが、でも、これはトマスの回顧録、この事件の後も彼は生きている、生きてこの手記(?)を語っているのだよね、と思いながら読んでいた。


軍隊とインディアンの闘いでは、一見どっちもどっちと思いそうなのだけれど、その卑劣さにおいて、正規軍がかなり上を行く。
どこもかしこも差別だらけ。黒人に対して、インディアンに対して。トマスとジョンの友人たちがそうではないのが不思議、いいや、こんな時代に男同志のカップルをあるがままに受け入れる人たちだから当たり前か。
当たり前が通用しない時代、環境で、ひたすらに自らの当たり前を守ろうとする人びとがかっこいい。
ただ、トマスとジョンに育てられたインディアンの娘、健気で聡明なウィノナのその後が気にはなるが、「終わりのない日々」のなかで、どうかこの「愚か者の天国」が長く続きますように。