『注文の多い料理店』 宮沢賢治

 

宮沢賢治が生前に自費出版したのは、詩集『春と修羅』と、童話集『注文の多い料理店』の二冊だけだそうだ。
童話集として唯一の『注文の多い料理店』は、イーハトーブ童話集として大正12年に出版された。
この文庫本は、初版本の表紙がそのまま本の扉になっている。九編の童話が、作品の配列も挿絵も、賢治による序文も、それから付録の『「注文の多い料理店』新刊案内』の文章までもそっくりそのまま、ほぼ初版本の復刻版と言ってもよいような姿で収録されている。


「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます」
から始まる賢治の序文が美しい。イーハトーブへの招待状のよう、一編の作品のよう。


宮沢賢治イーハトーブのことを
「じつにこれは著者の心象中に、このような情景をもって実在したドリームランドとしての日本岩手県である」
といっている。
実物の初版本をほぼそのままに小さくしたこの文庫本は、ちょっとだけイーハトーブ的といえるかもしれない。


小岩井農場を中心に、静まっている山や森、野原や鉄道線路や電信柱にいたるまでの実物の風景は、イーハトーブの世界で活動を始める。鳥や動物はもちろん、山も樹々もそれぞれの思いを口に出して語るし、風景のあいだには山男や雪童子がのびやかに闊歩している。
でも、擬人化というのとはちょっと違うような気がする。


たとえば『水仙月の四日』で、一人の子どもが吹雪に巻かれて死にかけている。雪婆んごは、吹雪を吹かせる雪童子や雪狼たちをこのように励ます。
「おや、おかしな子がいるね。そうそう、こっちへとっておしまい。水仙月の四日だもの、一人や二人とったっていいんだよ」
大自然の掟、人ならぬ者の倫理感が、人の世界の良し悪しや情と重ならないことを思い知らされる、それだからこその畏れも湧いてくる、ダイナミックで幻想的な世界。
重なることのないものがともに暮らし、互いが(あるいは人知れずどちらか一方が)歩み寄ろうとする時、物語が生まれる。


『どんぐりと山猫』』『狼森と笊森、盗森』『注文の多い料理店』『烏の北斗七星』『水仙月の四日』『山男の四月』『かしわばやしの夜』『月夜のでんしんばしら』『鹿踊りのはじまり』の九編。 


『狼森と笊森、盗森』は初めて読んだ。人と山のおおらかな交わりはいいな。「山笑う」という言葉を思い出す。人も山も笑っているようだ。