『ペイント』 イ・ヒヨン

 

少し未来の韓国では、子どもを欲しがらない人がますます増えている。そこで、政府は思い切った政策に踏み切った。
「これからは、国が責任をもって子どもを育てます」


NCセンターは、親が育てられない子どもを養育する施設で、19歳までの子どもが生活する。
13歳以上の子どもは、里親候補者(プレフォスター)と何度もの面接を繰り返し、条件が整えば、センターを出て、新しい父母と暮らし、社会に入っていく。


実の親に育てられないことは、単純に不幸とはいえない。
実の親に育てられることが必ずしも幸福ではないように。
「子どもって、ほとんどは家族から一番傷つけられるんだと思う」という言葉は衝撃的だった。


センターの子どもたちは里親候補との面接(ペイント)に積極的だ。それは、親(里親)を持たない純粋培養のセンター出身者が、社会から歓迎されないから。差別されるから。


私には、センターの閉鎖性が異様に感じる。
清潔で、行き届いた、至れり尽くせりの寄宿舎生活。
年に二回の修学旅行的な外泊を除いたら、子どもたちが社会に出ていくまでは一切、外部との接触はない。学校もセンター内部にある。
子どもたちを守る、というが、どちらかといえば、この施設のありようが、外部の人々に誤解や恐れを抱かせているように思える。
だけど、
「僕も僕だけの枠に世界を閉じ込めて、それが全てだと思いこんでいた。枠の向こうを想像しようとしなかった」
という、語り手ジェヌの言葉に出会ったとき、ふいに内と外が入れ替わったように感じた。
また、このセンターを異常というなら、私自身の所属するいくつかの小さなコミュニティや大きな社会はどうなのだろう。漠然と「それが全て」だろうと思っているあれやこれやは、じつは、何かしらの枠を想定して、その内側に閉じこもるところから生まれたのかもしれない。


親も家庭も知らずに育ち、新しい親や家庭を得て社会に出ていこうとしている子どもたち。
今後も一人で生きていこうとしている子どもたち。
生まれたときからずっと親も家庭も持っていたのに、その繋がりを持て余している子どもたち。


「子どもは親を選べない」というが、違うかもしれない。子どもが、親を選ぶのだ。
親たちは、心して受け入れるしかない。
だって、子どもたちは、心底悩み、考え抜いて、人生を始めようとしているのだから。