『ノーザン・ライツ』 ハワード・ノーマン

 

 

マニトバ州北部の村パドゥオラ・レイクには家が一軒しかなかったのだが、その名が地図上に記されているのは、ノアの父がこの家の主で、地図製作者だったからだ。
この家には、父母、息子のノアと従妹のシャーロットが暮らしている。といっても、父がこの家に留まるのは、一年の内の数日間だけだったが。


「動物というのはまず聞こえるものだった。とりわけ、夜に。ヤマアラシが鳴き、キューキューという高音で呼びかけ、短い咳をし、納屋をかじった」
この深い静けさに圧倒される。
郵便機で何時間も飛ばなければ人に会うこともかなわない北の果ての一軒家は、広大な大地の上にあるのに、まるで狭い無音の牢獄に閉じ込められているような恐ろしさを感じた。
人を求めているはずなのに人と会うことが恐くなるような、知らずしらずのうちに自分で自分を閉じ込めてしまう、そういう静けさ。


この家に無線機を持ち込んだのは父だったが、ノアがこの無線機から一番最初に聞いたのは、親友のペリーが一輪車で氷の下に落ちて溺れた、という知らせだった。
ノアは毎夏、九十マイル離れたクイルという(もともとはクリー族の)村でペリーの一家とともに過ごしていたのだ。


ペリーの家族(育ての母がクリー族)のまわりに普通にある一族の言い伝えやまじない(ドワーフの訪れの印、湖に住むカワウソの少女の話など)が心に残っている。それらは彼らの生活であり、ただのお話ではないのだ。
クリー族の民話を集めて回っている宣教師について、いつかペリーはこういっていた。
「あいつの物語はインディアンっぽい。でもキャラクターのなかに必ずキリスト教式の教えを滑り込ませるんだ」
ペリーの伯父サムは、ノアにこんなことを言ったことがある。
「話し方を学ぶのはいい、でも白人がクリー語で考えることはできないのを忘れてはいけないよ」
よく知っている(つもりの)相手であっても、無闇に踏み込まないこと、できないと自覚することなど、あえて後ろに下がるべき大きな知恵に気づかされる。


パドゥオラ・レイク、クイル、そしてトロントと舞台は変わる。
変わるたびに、周囲に人は増えていくが、余計に、それぞれがまとう孤独の深さが際立つようだ。
血のつながった親子、一時は愛し合った夫婦。なぜ一緒に暮らすことができないのだろう。


孤独な人々がぽつぽつと固まっているけれど、孤立しているわけではない。
人が同族に差し出す手は、きこちなくて、危なっかしくて、温かい。


無線は、北のはずれの一軒家に親友の死をもたらしたけれど、別のもの、たとえばトロントの図書館からの朗読も届けられた。トルストイキプリング、スウィフト……ディケンズ……
それは一つの塊ともう一つの塊との間に渡された糸のようなものでもある。
読み終えて感じるのは、小さな孤独たちの間、あちらにもこちらにも、目に見えないはずの糸がきらめくように渡っている様だ。