『赤いモレスキンの女』 アントワーヌ・ローラン

 

 

午前二時、タクシーを降りたばかりの女性が襲われ、バッグを奪われた。激しく抵抗した彼女は、頭を強く打ち据えられ、翌日には昏睡状態に陥ってしまった。
バッグは、大通りのゴミ箱の上で発見される。
発見したのは、書店主ローランで、警察に届け出たものの、いろいろあって、結局一時的に自宅に持ち帰る羽目になった。


バッグから奪われたのは、財布、携帯、カード類で、即、お金に結びつくもの。
だけど、襲われた女性が意識を失う前に心配していたのは、お金に置き替えることのできない「その他」のことだった。
他人にとってはただのガラクタで、一文にもならないものたちが、その人の人生を語ることもある。
膨らんだバッグに入っていた、ひとつひとつは、バッグの底の小さな石ころに至るまで、失うことが耐えがたい、人生の一部である場合もある。
バッグの中身の品々をひとつひとつ並べてみれば、そこに持ち主の姿がくっきりと浮かび上がってくる。
面と向かって自己紹介をしたところで、あるいは親しくつきあっているつもりでも、けっして明かされなかったその人の姿を、これらの品々は示している。
(私は、自分のバッグに何を入れているだろう、とふりかえっている。不用のレシートやらメモの端切れやらが大量に出てくることを思い出して、ああ、と思う)


バッグの持ち主が何ものかも知らないままに、ローランは、持ち主に心寄せた。恋をした。
顔も身分も、年齢も、名前さえもはっきりしない、その女性のことをバッグは、語っていたから。語られる言葉が、ローランには理解できたから。
ローランは、バッグの持ち主をなんとかして探そうと思った。でもどうやって? 


バッグの中の特筆すべきものは、赤いモレスキンの手帖だが、もうひとつ、モディアノのサイン本が入っていたこと。
ローラン自身が書店主でもあるし、この物語には、たくさんの作家たちや文学作品が登場するのも楽しい。
バッグの中身が人を語るなら、愛読書もまた人を語るのだ。


アントワーヌ・ローランの二冊めの本。
前作『ミッテランの帽子』を読んだときに、これは大人のおとぎ話だ、と思った。そして、いま、こちらの本もやっぱり、そうだと思う。
それもとっても小粋で、上質の。
ほんの一センチばかり、浮き世の地面の上を行くような。
ほっとため息ついて、ああ、もっと読みたいなあ、と思わせてくれる、おとぎ話だ。