『世界とキレル』佐藤まどか

 

世界とキレル

世界とキレル

 

 

中学二年生の舞。中学生になってからいろいろなことがうまくいかなくなってしまい、自信もなくなってしまった。今は友だちもいないし、学校でも家でも一人でいることが多い。
いいや、友だちならスマホの中にいる。別の名前、別の人格をまとって発信するSNSでの千人のフォロワーが舞の友だち。イイネの数が友情の証だ。
舞にとってスマホは世界とつながれる大切な機器なのだ。
その舞が、夏休み、いとこの鏡花ちゃんと一緒にサマーキャンプに参加することになった。
山奥の素敵な洋館。参加者は七人。
期待して参加したのに、到着するなり、持ってきた余計なものを没収された。なかでも舞にとって痛かったのはスマホをとりあげられてしまったことだ。これでは世界と繋がれない……
そして夏休みというのに朝七時起床、夜は十時に消灯、毎日、日課がある規則正しい生活。こんなところ逃げだしてやろうか。
というさんざんな始まり。これで、無事に三週間を過ごせるのだろうか。
それから、三週間後、もとの生活に戻れるのだろうか。


スマホが自分の生活のなかでどんなに大きな場所をしめていたことか。
スマホがなくなったとき、その隙間を埋めるものは何なのだろうか。埋める……そうじゃない。
「これはあなたの心臓じゃなくて道具なのです」という言葉が心に残るが、まるで止まっていた心臓が少しずつ動き始めたような感じだ。
この三週間に、何が起こるか、簡単に想像できると思うが、……それらを少しずつ少しずつ、こんなにみずみずしく描き出してくれたことに、いちいちほうっとため息をついてしまう。
舞に起こること、舞が感じること、考えること、そして行動すること、その一つ一つが、新鮮に思えて夢中になってしまう。
舞の目で、わたしは周りを見回してみる。自分がリアルにつながっているものたちのひとつひとつを確認するような気持ちで。


面白かった。
そのうえで、ちょっと戸惑っていることがある。
山のサマースキャンプのスポンサーは、大手のネットマガジン社で、ここでの生活は、カメラにとらえられ、ネット配信される、一種のリアリティーショーなのだという。(名前は仮名、イメージはアニメ化、音声も変え、個人情報が漏れないように細心の注意が払われるそうだけれど)
そういうことを主催者はもちろん、子どもたちがすんなり受け入れていることに、戸惑ったのだ。
(寝室や水まわりは無しだというけれど)24時間、生活の場にカメラが回っていて、自分の暮らしを不特定多数の目が見ている、っていう状況を、わたしは異常で気持ち悪いものだと思うのだが。

 

あるいは……
あるいは、これはちょっとブラックな皮肉だろうか。
スマホから離れても、実は……という。